加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2010年10月24日(日) |
日本も恫喝カードを使え |
法も自由もない独裁国家というのが、中国の真の姿であることを、日本の政治家以外はみんな肌身で理解している。今回の事件対応で愚の骨頂だと思えたのは、菅や仙石が「中国を激したくない」と考えて、衝突時のビデオを公開しようとしなかったことである。菅は首相でありながらビデオを見ていないと、国会答弁で言ってのけた。
仙谷にいたっては記者会見で、ビデオは刑事事件の証拠なのだから公表しない。刑事事件捜査は密行性を持って旨とするというのは、刑事訴訟法のイロハの「イ」などと、弁護士であることを笠に着て偉ぶってみせた。そんなところで法の原則論を振りかざすならば、なぜ明らかな公務執行妨害を犯した人間を、処分保留などというあいまいな形で釈放したのか。内弁慶にも程がある。
今回の漁船の乗務員は、明らかに軍の訓練を受けている人間だった。船ごと体当たりするなど、訓練を受けていなければできるものではない。つまり、中国は今回の一件で日本を試していた。日本の指導者は骨があるのか、肝が座わっているのか、新政権をテストしたのだ。
菅や仙谷は箸にも棒にもかからない初期対応をした上に、いまだに「戦略的互恵関係を築く」などと戯言を言っている。マスコミも“雪解けムード”などと報じているが、これでは中国がさらに図に乗るに決まっている。中国は交渉や話し合いをしようにも、一筋縄でいく相手ではない。したたかさでは向こうが一枚も二枚も上手だと認識しなくてはならない。
以前私が取材で中国の内陸部を訪れたとき、移動中の飛行機の中でBGMとして突然「日本の演歌」がかかってきたことがあった。訪問先で共産党幹部に取材をすることになっていたから、そこから手が回っていた。もてなす心配りを見せて、こちらを凋落しようという心づもりなのである。油断して心を許そうものなら、常に監視していいる公安部が弱みを握ろうと動き出す。
中国で拘束されたフジタの社員たちにしても、不用意な部分があったというしかない。いざとなれば中国がどんな卑劣な手段でも使う国家だと、彼らはどこまで理解していたのだろうか。平時と非常時で、中国は全く別の顔を使い分ける。それを“平和ボケ”した多くの日本人は知らない。
亡くなった自民党の中川昭一氏が東シナ海での中国の振る舞いを「右手でこちらと握手しながら、左手で殴るタイミングを探している」と評したが、言い得て妙である。中国が今、多少話し合いに応じる素振りを見せているのも、裏にははしたたかな計算があると疑ってかからなくてはならない。
そういったことを理解していない民主党の政治家たちは、小沢一郎とその子分たちのように、訪中して胡錦濤と満面の笑みを浮かべて記念写真におさまって満足してしまう。小沢氏の大訪中団のルートが、今回の事件の初期対応で役立ったという話はつゆほどにも聞かない。
では、中国のような国を相手にする時にはどうすればいいか。ポイントは2点ある。「どれだけ相手に脅威を与えるカードを持っているか」ということと「そのカードの見せ方、使い方を知っているリーダーがいるか」にかかってくる。
私はこういう時のためにこそ「核武装」という“最終カード”を持つことを日本は検討すべきだと考えているが、そこまでいかなくとも、切り札を用意することはできる。例えば「日米同盟」というカードを日本はすでに持っている。今回の事件は、その脅威を中国に見せつけるチャンスでさえあった。アメリカはどの程度本気で日本を助ける気があるのかを確認するいい機会だったのだ。
ところが、訪米した外務大臣の前原は「クリントン国務長官は助けてくれると言っていた」と吹聴するばかりで、様子見を決め込んでいるアメリカに何のアクションも求めてこなかった。具体的条件を全く提示しなかった。これはアメリカ側からリジェクトされる可能性もあることを考えれば、もちろんリスクを伴う“実験”である。
しかし、中国のような国家と向き合うためには、政治家がそれだけの覚悟を持ってギリギリのせめぎ合いに挑む必要がある。”恫喝カード”の数を増やしながら、カードの見せ方、切り方を、全身全霊をかけて考える。これこそが国を動かす者たちの果たすべき責務であるもちろん、「衝突時のビデオ公開」も一つのカードだった。だが、今回の交渉を取り仕切った元社会党という出自を持った官房長官は、早々にそのカードを放棄してしまった。
元全共闘の闘士であった官房長官は、さぞや中国に対する深い愛情があるのだろう。しかし、国益を損なう判断ばかりする人間が、いつまでも国の中枢にいるようでは、日本に先はない。国際政治はサバイバルだ。「友愛」だの「過去の侵略に謝罪したい」だの言っている連中にはこの国は救えない。
外交による国益とは、残念ながら「世界中の国々と仲良くすること」によって得られるものではない。それはこれまでの人間の歴史が証明している。国際政治の世界では「他国を出し抜いてでも」と考える戦略、知略を持たなくてはならない。したたかな中国と向き合うのに、今の日本の政治家はあまりにも「無知」だ。
ただし、それには国民やマスコミの側にも責任がある、今回の中国漁船衝突事件が起きたタイミングは、民主党代表選の真っ最中だったが、選挙期間中に2人の候補は尖閣諸島の問題にほとんど触れていない。それに対して、マスコミからの疑問の声はなかったし、民主党の党員、サポーター、その他の国民からもそれを問う声は上がらなかった。
真のリーダーを生み出せるのは、成熟した国民による絶え間ない監視である、今の日本は窮地に追い込まれている。だからこそ、一人一人の国民が危機感を持って一刻も早く「無知」を克服し、「無知な政治家」を駆逐しなくてはならない。
SAPIO
|