加藤のメモ的日記
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北朝鮮は1962年12月、全人民武装化と全国土要塞化を決定した。しかし当時はアメリカをはじめ、日本も韓国もこのことに全然注目しなかった。あれから武装化するはずの人民は飢えに苦しんでいるが、国土の要塞化は着々と進み、ノドン、テポドンなどのミサイルの開発に成功した。
北朝鮮の正式国名は朝鮮民主主義人民共和国。これを分解してみるといかにふざけた国名ががよくわかる。朝鮮はよしとしても民主主義などとは縁がなく、人民は無視され共和国ではなく独裁者の王朝である。”北朝鮮反民主反人民金王朝”という国名にしたほうがずっと実態に合っている。おかしいことにこれまで世界に存在した共産主義や社会主義を標榜する独裁国家は、必ずその国名に”民主”とか”人民”を入れている。
最高指導者は労働党総書記と国防委員長を兼ねる金正日。事実上の国家元首だが、外国の元首とは会いたがらない。その理由として緊張するとどもるからとか、自分の容姿や頭の中身に劣等感を抱いているからとか、できるだけ表に出ないことによってその神秘性を高めるためなどといろいろいわれているが、それらはスペキュレーション(投機行為)にすぎず本当のところはわからない。単にに外国人嫌いということだってあり得る。
金正日は”将軍様”とか”大元帥”と呼ばれるが、軍に籍を置いたことはたったの一度もないという珍しい軍人である。この点はサダム・フセインと同じだ。彼を形容する言葉はいろいろある。”人民の太陽”、”戦略の天才””芸術の天才”そして極め付きは“百戦百勝の鋼鉄の霊将”。もちろん彼には戦争の経験などない。しかし、労働党宣伝部に不可能なことはない。このような滑稽極まりない神話とプロパガンダで成り立っているのが今の北朝鮮なのだ。
1959年に在日朝鮮人とその家族の帰国事業が始まったとき、日本の大新聞は北朝鮮を”地上の楽園”と呼んだ。極め付きのブラックジョークだが、それを信じて帰った人々もいたことを考えると笑うには悲しすぎる。こういう悪趣味のブラックジョーを臆面もなく流布したマスコミ人は今どういう思いで、かの国の実情を見ているのだろうか。
”地上の楽園”は別格として現実の北朝鮮を形容する言葉は多い、飢餓国家、物乞い国家、ゆすり国家、人さらい国家、最後のスターリン国家、恥知らず国家、ヤクザ国家、etc。しかし単に“異常国家”で十分だろう。国民の多くが飢えに苦しんでいるのに、GDPの25%以上をコンスタントに軍備拡張につぎ込んできたのを見るだけで、その異常さは明白だ。
また社会主義国家ではタブーのはずの親から息子への権力譲渡を平気で行なう。かってのスターリンやホーネッカーでさえそこまではやらなかった。他国の民をかっさらって平然としているのも北朝鮮の異常さの一つだ。最近、日本政府は拉致された人々の数を7組10人と公表した。実際にはもっと多いのだが、これに関しても知らぬ存ぜぬの1点張り。それどころが拉致問題などを持ち出せば、日朝関係は悪化すると開き直る始末である。
地獄に最も近い国
1994年、北朝鮮は国際原子力委員会による核査察を拒否。東アジアを取り巻く情勢は一挙に緊張がエスカレートした。国連は対北朝鮮制裁決議に踏み切り、日本、アメリカ、韓国は思い切った経済制裁を検討するが、これに対して北朝鮮はもし経済制裁がなされたならそれは北に対する宣戦布告に等しいと反発した。
あの時は北朝鮮に対する爆撃寸前まで事態がエスカレートしていたと、当時の国防長官ウィリアム・ベーカーが述懐している。結局、カーター元大統領が訪朝して金日成と話し合って危機を乗り越え、日米間による経済制裁はなされなかった。しかしこれはあくまでバンドエイド的な対処にすぎなかった。
その年の7月、金日成が死亡。息子の正日の体制が発足すると再び、東アジアに緊張状態が戻る。それまでも慢性的な食料不足に陥っていた北朝鮮は、金正日の軍議拡張最優先政策によって食糧配給も年を追うごとに滞り、農村地帯では最低量さえも配給されなくなる。その状況に壊滅的な打撃を与えたのは95年と96年に襲った大洪水。
さすがの主体思想も天災には勝てなかった。北朝鮮は恥も外聞も捨てて国際社会に人道的援助を求めた。人道的という言葉は殺し文句的効果を持つ。特に人のいい日本人はそういう言葉に弱い。すぐに50万トンのコメが送られた。
金王朝の”すごさ”はこの不幸な災害さえも自分たちのために利用してしまうところにある。支援された米や他の食料は一般市民には回らず、まず軍の上層部や軍需工場で働く者に配られ、缶詰やバナナ、キウイなどの上等品は平壌の外貨ショップの棚に並んだ。そして一般市民は相変わらずの飢餓状態。その実態は何度か日本のテレビでも流されたので見た人も多いだろう。
あれらのフィルムは韓国のビジネスマンや中国東北部にすむ朝鮮族の人々、さらには大阪にベースを置くRENK(レスキュー・ノース・コリア)のような組織の人間が命がけで撮ってきたものである。フィルムには極寒の中で靴も履いていない子供が、市場をうろつきながら地面に落ちているゴミを拾って食べたり、乳飲み子を抱いた母親が口から泥を吐きだして、そのまま息絶えるというような凄惨な場面が映し出されている。まさにこの世の地獄としか言いようがない。
『天中殺の1990年代』
北朝鮮への帰国事業を煽った大新聞は、朝日新聞だったナ。
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