加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2010年10月04日(月) |
お金を使いきってあの世へ |
東京都下のある市で20年保健婦をしている安川さんは、老人たちのお金とのつきあい方を見てきて、つくづくこんな感想をもらす。「今のお年寄りって、お金の使い方がへたくそだと思いますね。生きたお金の使い方ができないんですよ。特に生まれてこのかた自分で稼いだことのないようなおばさんがだめね。いくら土地持ちでも、自分で稼いだお金でないと使えないんですよ。自分より貧しい人に、おごってもらってばかりいるの。
そういう人たちって、とかく夫の給料の多寡で幸不幸をはかろうとするの。夫が死ぬと遺産の多寡が幸不幸の基準になって、子供に養われると、くれる小遣いの多寡で幸不幸が分かれるのよ。国民年金だって、ちょっぴりと言いながら、使わないで貯めてるの。老人福祉に乗っかって、全部タダで治療してもらおうとするの。タダの病院からタダの老人ホームに入ろうとしてるのよ。お金はいっぱいあるのに。あの世に持っていけるわけじゃないのに、どうしてみんなこうなんでしょうねえ……」
そうしたなかで、ひときわ印象深く安川さんの心に残る老人がいた。その人、原口氏は生活保護を受けながら、都営住宅に妻と二人で暮らしていた。知り合った時は88歳。以後5〜6年定期的に訪問して、入院するまでつきあった。そんな暮らしなのに、少しもみじめな感じがしないのが不思議だった。見た感じも、カイゼル髭を生やして威厳があり、奥さんも二度目の妻とわかったが、花柳界の人思われるような粋な人だった。言うこともハイカラで、使っている食器も一目でいいものだとわかった。
昔はよほどお金持ちだったに違いないと思われたが、昔のことを威張って話すという風でもなかった。今の暮らしを”落ちぶれた”ととらえているところも感じられなかった、ただ、だんだん親しくなってくると、宝物のように大事にとってあるものを出してきて見せてくれた。「パワーがあったころは、こんな時もあったんだよ」などと言いながら……。
それは一けたナンバーの車の免許証だったり、セピア色になった写真だったりした。その写真の中では、若々しくハンサムな原口氏が素敵な外車のそばに立っていた。「私も初めて知ったんだけど、車の免許証の番号って、何回更新しても変わらないのね。だからこのおじいさんが日本で数番目に免許を取ったってことなよ。
そんなのを見せてもらいながら話を聞くうちに、昔は東京の都心で運送会社を経営していた人だってわかったの。それがどうして、今こうなっちゃったのかは話してくれなかったんだけど、吉原通いでもして派手に使いきっちゃったのかしらねえ。何かそんな感じなのよ」
『老後はお金で買えますか』
|