加藤のメモ的日記
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2010年09月04日(土) 御用聞きと化した小泉首相

「歴史的会談が実現」―。北朝鮮、金王朝独裁政権のことを何もわかっていない大マスコミは、2002年9月17日の小泉・金正日会談をこう評した。確かに、私から見てもこれは「歴史的会談」だった。ただし、「歴史に汚点を残す会談」という意味で―。この首脳会談で得られた成果は皆無だった。いや、対北朝鮮政策において、最大の「負の遺産」を残すという最悪の結果をもたらした。

会談では、金正日が国家犯罪としても日本人拉致を認め、「8組11人(当時)」の拉致被害者のうち5人が生存、一人が行方不明、その他は死亡という発表が行われた。後に5人の生存被害者は日本に帰国したが。何のことはない、「北朝鮮はテロ国家である」という指摘を、実行犯自らが認めたにすぎない。私が耳を疑ったのは「10月から中断していた国交正常化交渉を再開する」という小泉首相の会談後の発表である。

交渉前に小泉は「拉致問題が解決しないかぎり、国交正常化はあり得ない」と述べていたはずだ。「拉致被害者の生死を発表する」ということが「拉致問題の解決」であるなどという解釈、あるいは「拉致を認めた」ことが「日朝間の問題解決にめどが見えた」という結論にたどりつくという思考回路は全く理解不能としか言いようがない。結果的に、その後の交渉がとん挫したまま現在に至っているのがせめてもの救いだ。

普通に考えれば「死亡」と発表された被害者は、「口封じ」のために“殺された“、あるいは生きていても表には出せないから“死んだことにされた”と考えるのが自然だ。それなのに、「生きています、死亡しました」の返答だけで、「ああ、そうですか」としか対応できなかった。一方的な説明を聞くために、一国の首相が「御用聞き」としてテロリストのところにノコノコ出掛けていっただけではないか。

さらにいえば、拉致被害者は政府が発表した「8件11人」だけではない。そのほかに50人とも100人ともいわれる拉致被害者については、これから全く無視される可能性もある「8件11人」に限定してしまったのは明らかに日本の外交の無能さである。

そもそもこの首脳会談の根本的な誤りは、「まず国交正常化交渉の再開ありき」という考えがあったことだ。現時点でもそうだが、あの時点で北朝鮮と国交を結ぶ必要が一体どこにあったのか、メリットは何もない。日本は経済がひっ迫している北朝鮮の「現金自動支払機」にさせられたにすぎない。社民党の親北朝鮮派の某議員が「日本のそばに国交のない国が存在すること自体がおかしい」と言っていたが、それこそ妄言以外の何ものでもない。その議員に問いたい。「では、なぜあなたは台湾との国交正常化を推進しないのか」と。これらの「親北朝鮮議員」は、北朝鮮の走狗となって世論を誘導していたにすぎない。

まず、以下の「歴史的事実」を思い出してもらいたい。83年のラングーンでのテロ事件では韓国の閣僚を含めた21人が殺された。87年の大韓航空効爆破事件でも多数の民間人が殺された。98年にはテポドン・ミサイルを発射し、日本上空を通過させた。さらに繁雑に行われた工作船による領海侵犯。これらのテロ行為、あるいは国際法違反の首謀者は誰だったか。他でもない金日成、金正日親子だ。そして彼らの行為は国際的な裁判も受けていないし、当然、その罪を償ってもいない。

先のバカ議員にはこう聞きたい。「逮捕もされず、裁判も受けず、服役もしていない殺人犯と、あなたは友人になれるのか?」と。つまり、小泉訪朝は自ら認める国際的テロリストと握手し、彼らの存在を正当なものとして認知することに力を貸してしまったということに他ならない。北朝鮮と国交を結ぶこと自体が間違いだとは思わない。ただし、それは「国際テロリストで人権無視の独裁者による統治体制がなくなったうえで」という絶対的な条件をクリアしたうえでの話だ。

このように日朝首脳会談の前提からして間違っているのだから、9月17日に発表された共同宣言を見るまでもなく、小泉の訪朝が百害あって一利なしのものとなることは最初からわかっていたこと。第一、2001年5月に起きた金正日の息子、金正男の密入国事件の時でさえ下手に出た対応しかできなかった日本政府が、この会談で”親玉”である金正日に完全にしてやられたのは当然の帰結といえる。


『国が死ぬ』


加藤  |MAIL