加藤のメモ的日記
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私は長い間検事として取り調べもしたし、弁護人として弁護も経験したが、逮捕・拘留というような過酷な状況に置かれた場合、人間は弱いものでそれが事実でなくても、事実として認めてしまうことが多い。特に社会的な地位が高かったり、学歴が高かったりすると、あれこれ思い悩んで早くその状況から逃れたいと思うがために、検事に迎合したり、辻褄を合わせてしまうことが多い。ところがそのような状況での供述も一旦調書になると、それがひとり歩きするのである。
取調官は、拘留されても否認している者を何日もの間、取り調べないでおくことがある、立場の弱い被疑者は一人で黙って留置されていることに耐えられなくなる。人に会いたい。検事にあって取り調べてもらって自分の立場を説明したい。呼ばれないのは検事の心証を悪くしたからかもしれない。どうなってもいいから検事に迎合し、寛大な措置をとってもらいたいと思い悩み、中には取調べを申し出る者がいる。
すると検事は被疑者を呼びだして調書を作成する。これを形だけ見ると被疑者が自発的に取調べを申し立てて、自白したということになるため、裁判所では信用性があると判断されるのである。こうして有罪への道が開かれていくのである。ロッキード事件でこのような状況を公判廷でいくら主張しても認められたためしはない。
…こうした田中首相の独自外交がアメリカ側を怒らせたという見方は早くからあった。田原総一郎氏は、早くも1976年7月に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」において、「ロックフェラー財閥に象徴される東部エスタブリッシュメント対メロン財閥を中心としたガルフ、テキサコ、ロッキードなど西南部の新興勢力の汚い内ゲバであり、新興勢力との黒い癒着で大統領にのし上がったニクソンを血祭りに上げたのが第一幕で、現在その二幕目が展開されているのだという」と書いている「中央公論」
又、1987年には毎日新聞の簾信彦記者(当時)が、「かって、我が国は田中角栄元首相時代、独自の資源ソースの確立を目指した資源外交を着々と展開したところ、これがメジャーズ(国際石油資本)を中心とする米国の資源のカサと衝突した。一部で「日本は米国の虎の尾を踏んだ」といわれ田中元首相がロッキード事件に巻き込まれた遠因ともみられている」と書いている。「毎日新聞」1987年7月2日付」
1996年には中曽根元首相がさらにこう明確に述べている。「田中君は、国産原油、日の丸原油を採るといってメジャーを刺激したんですね。そして、さらに彼はヨーロッパに行った時、イギリスの北海油田からも日本に入れるとか、ソ連のムルマンスクの天然ガスをどうするとか、そういう石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。後にキッシンジャーは「ロッキード事件は間違いだった」と密かに私にいました」
独自のアジア外交を警戒? ただし、アメリカが嫌ったのは、田中首相の独自のアジア外交だったとの見方もあるようだ。公明党元委員長の矢野純也氏は「私の角栄論」において、田中首相の「一種のアジア中心主義」がアメリカに歓迎されなかったことを次のように示唆している。
「田中氏は将来、日本がアジアでどう位置づけられるべきか、アジアの資源と消費者としての人口を視野に置いた一種のアジア中心主義が意識の底にあったと思う。東南アジア諸国連合(ASEAN)へのアプローチも資源収奪などの批判から必ずしも歓迎されなかったが、この視点から見直す必要がある。そこには雪で象徴される土着性を背景にした日本という、氏なりの座標軸があり、アジア意識があった。必ずしも対米一辺倒ではなく、この面でも異端の政治家だったのであろう。氏がアメリカ初のロッキード事件で政治生命にとどめを刺されたのも、単なる偶然だったのか、という印象すらある。(毎日新聞1993 12/23)
生前渡辺美智雄氏は「71年の頭越しの米中接近、その翌年の日中正常化。日本と米国が相次いで中国と急接近していったことに、米国の保守派が非常な危機感を持った。このままにしておくわけにはいかないと。CIAとFBIが手分けしてFBIがニクソン元大統領を葬り、CIAが角さんを葬った。これは間違いありませんよ。根は中国問題です」(毎日新聞 98 11/23)
『田中角栄の真実』
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