加藤のメモ的日記
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セナ 千人の人間が私を見たら、千人のセナ像ができる。これは当然のことだと思う。問題は今あなたが尋ねたように私自身が自分をどう思っているかだ。私は成功を勝ち得たと思う。それは単に金があるとか、スーパースターであるとかという言う意味ではない。真の成功とは決して偶然とか単なる運から生まれるものではないというのが私の考えだ。 もちろん一夜にして博打で億万長者になったたり、運よく一日にしてロック歌手として人気を博する者もいる。しかしそんな者は私に言わせればごく薄っぺらなものだ。本当の成功には常に心の平和、魂の安らぎがある。ベストを尽くしたという納得感、自分自身のパフォーマンスに対する誇り、そして自分の選んだ職業で頂点に立っているという自負心。これらの要素が一つでも欠けても本当の成功者とはいえない。
落合 しかし、あなたはごく恵まれた人生を送って来た。環境も抜群に良かったし、両親のバックアップもあった。
セナ その通り。たしかに私は子供のころから恵まれていた。4歳の時、カートを父にプレゼントしてもらい、学業さえ怠らなければ乗って良いという許可を得た。その頃はまだレーサーになろうなどという気持ちはなかった。しばらくカートに乗っているうちに、私は肉体的にタフでなければ自分の欲しているようなドライビングはできないと悟った。そこで肉体を強健にするための努力をした。同時に肉体の強さだけではどうにもならないことも悟った。 強い肉体に不可欠なのは強靭な精神力だ。この二つのコンビネーションがうまくかみ合わさえすれば、どんなことにも打ち勝てる。これはどんな仕事についている人にも当てはまる真実だと思う。
落合 しかし、皆があなたのようにすばらしい家庭環境とチャンスに恵まれているわけではない。チャンスを全く与えられないものも多いではないか。
セナ それは違う。皆平等にチャンスは与えられている。この世に生を受けたということ、それ自体が最大のチャンスではないか。すべてこの世に生れてきた者は、神からそれなりの能力と肉体的力、そして生きる目的を与えられている。神はこの上なく公平なものだ。どのような人間にも才能を与えてくれる。それはレーサーとかビジネスマンとかいう狭い意味のものではなく、人間として真っすぐに生きていく才能、人間として恥ずかしくなく生きていくための才能だ。それに我々が気づくか否かが問題なのだが……。
アイルトン・セナ 1994年 5月1日 レース中に事故死 34才 ブラジル
『そしてわが祖国』
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