加藤のメモ的日記
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2010年05月13日(木) 明治の指導者は気概の人たち

井上薫は青年時に密航してマルセイユに上陸し、西洋の港や市街を見た時の感銘を終生忘れることがなかった。三井財閥の強化も、日本郵船の発展に尽力したのも、欧米との競争を考えれば、日本のために必要と見たからだ。新聞は毎日のように「井上は財閥から金をもらっている」と書きたてたが、当人はそんなことを少しも気にかけなかった。

その代り彼は毎日、イギリスの新聞だけは人に翻訳させて読んでいた。イギリス人たちが日本のことをどのように報じているかを知るためであったと言う。つまり、井上にとって自分に対する世間の評判などどうでもいいのである。それよりも日本に対する世界の評判のほうがずっと大事だという感覚が彼にはあった。

しかるに昭和から現代に至るまでの指導者で、井上のような感覚を持った人ははたしてどれだけいたであろう。昭和の軍人たちにとって重要だったのは、何よりも軍隊組織における自分の評価であって世界がどう思おうが関係ない。満州事変などを見て世界中が眉をひそめたことなど、お構いなしである。

また戦後の政治家で自らの評価より、世界における日本の評判ということを大事にしたのは、おそらく吉田茂首相くらいではないか。こうした井上のような精神を”気概”と言う言葉で表現してもいいのであろう。大目標のためには、潔く個人のことを捨てる。それが”気概”である。井上に限らず。維新の元勲たちが皆”気概”の持ち主であった証拠として、私は彼らが唯一人として自分の実子を政治家にしなかったということをぜひ記しておきたいと思う。

明治維新以前の日本は、言うまでもなく世襲が当たり前の世界であった。殿様だろうが、百姓だろうが、皆自分の子を後継ぎにしていたのである。そのような時代からまだ何十年もたっていない。もしも彼らが元老の地位を子供に譲りたいと思えばおそらく、それは許されたであろう、常識というのはそうそう変わるものではないからだ。

だが、彼らははあえてそれをやらなかった。というのはやはり「世襲をやっては、、旧幕時代と変わらないじゃないか」という思いがったからである。こうした彼らの姿勢を見て「そんなことは当然じゃないか」と思うのは勝手である。だが、革命をこした人たちが権力を握ると、とたんに”先祖返り”をしてしまうというのは、枚挙に暇がない。

北朝鮮の世襲体制はその最たるものだが、ソ連や中国においても共産革命が成就すると指導者はアッという間に皇帝になり、その一家劔族までが栄華を極めるようになった。そのような誘惑をを拒否して、自分の子供に権力を譲渡しなかったということだけを見ても、やはり明治機維新の指導者たちが”気概の人”たちであったということはわかると思うのである。





『渡辺昇一の昭和史』


加藤  |MAIL