加藤のメモ的日記
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「舛添要一」という男の本性 「小狂気」が人気を得ることも
彼は新党を作って、一体何をしようというのでしょうか。金のかかる政治との決別、憲法改正、日米安保を基軸とした外交・安全保障。掲げる政策を眺めてみても、どれも自民党がやろうとしていることと変わりはない。目新しさは何もありません。なぜ外に出てそれをやらなければならないのでしょうか。
例えば、新党は道州制を導入するとも謳っています。しかし彼が自民党で道州制の論議を先導したとか、実現に向けて汗をかいたとか、そんな話は聞いたことがありません。何をいまさら道州制と言い出すのか、理解に苦しみます。社民党の福島みずほさんや、国民新党の亀井静香さんは小党といえども党首であり、テレビに映る機会が多い。結局、彼も党首になりたかっただけではないでしょうか。利用できるものは何でも利用する人でしたから。私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書・立場を利用したかっただけなんだろうなと、今改めて思います。
片山さつき氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。女性初の主計官として注目を集め、15年、代議士に転身、昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土重来を期している。大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚、後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」していたという。
近藤鉄雄先生(大蔵省OBの元労働相)に紹介されてのお見合い結婚でした。私が27歳の時のことです。今と違って、当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。役所は保守的なところですからなおさらです。そういった時代でしたから、実は彼の前にも2回ほどお見合いの話があったんですが、私は結婚しても仕事を続けたかった。当然、帰りが遅くなることもある。それを知ると「ちょっと考えさせと」といわれ、二人ともお見合いにまで至らなかった。そんな折に紹介されたのが彼でした。
「自分の同期や教え子には官僚が沢山いて、生活パターンは熟知している、いくら遅く帰ってきても構わない」彼はこう言ってくれました。男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両方を支援してくれる人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。最初はソフトな印象だったんですが……。
お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は思っていました。それに、相手が一回り年上で、一応自分が卒業した大学の助教授、しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂闊にも信用してしまったんですね、結婚前にこんなことがありました。ある日、私に何も知らせず、彼は夕刊紙の記者を連れて来たんです。そして、彼との結婚話が一面で報じられた。
保守的な役所の世界で生きていたにも拘わらず、関係者への挨拶の段取りを、私はすっとばす形になってしまったわけです。官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は、女性キャリアとの結婚という「ニュース」をやはり利用しようとしたんですね。
ただただ、怖かった
慌しく始まった結婚生活ですが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。そして彼は2か月で「約束」を反故にしました。「遅く帰ってきやがって!」突然彼は怒り始めたんです。仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが……。いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて。私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。
その辺にあるものを手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼はナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今でいえば「DV」ということになるんでしょうか。
彼は体も大きいし、わーっと大声で責め立ててくるので怖かった。ただただ、怖かった。着の身着のままタクシーで浦和市にある実家に戻ったこともあります。結局結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることもわかった。でもすでにその時は、不倫の事実を知っても何も感じませんでした。とにかく、一日でも早く別れたい、離れなければ―
それだけを考えていました。「出ていけ、出ていけ」とギャーギャー騒いでいる人の横では、寝ることさえままなりません。今思うと、愛人ができたから、私を早く追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です。私から離婚調停を申し立てて、正式に離婚が成立したのは結婚の2年3ヵ月後でした。
時間をかけたのは、世間体の考えてのことにすぎません。実際は、延べ半年間も同居していません。調停にしたのは、籍を抜きたいと言っても向こうが話し合いに応じなかったことと、離婚の原因は彼にあることを、はっきりとさせたおきたかったことが理由です。
10歳以上も年下で、しかも社会での女性の地位が今と比べものにもならないほど低かった当時、彼は私にとってとにかく「暴力的」でした。弱きに強い人―。彼との結婚生活を振り返りながら、そんなことが思い出されます。本当に申し訳ないんですが、良い記憶はない。恐怖のみ、それ以外何も感じませんでした。まぁ、相性が合わなかった。よく調べもせずに、結婚した私も軽率だったとはいえば、それまでですが……。勉強と役所しか知らない「おぼこ娘」でしたから。
『週刊新潮』 片山さつき
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