加藤のメモ的日記
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| 2010年04月25日(日) |
介護保険の帰結・家族崩壊 |
大声をあげながら義兄は私に殴りかかったのです。ズボンのポケットの中からナイフを取りだしました。スイスのアーミーナイフのようなものです。これを使われると流血の惨事になります。私は身長170センチですが義兄のほうは180センチあり、私よりも一回りも大きいのです。私は講道館に通って柔道二段の免除を持っていますが、柔道は他人を攻撃するためのものではありません。
ひたすら防戦一方で、何とかナイフを使わせないように、腕を抱え込み宥めすかして、腰を落ち着けて話ができる体制にまで持ち込みました。この格闘で私は左腕に一週間の打撲傷を追いました、もし、これがナイフを使って、私に血の流れるような傷を負わせていたのなら、救急車やパトカーの出動となって、彼は逮捕されていたのわけですが、身内の不祥事、隠そうとするのが家族の心情です。
ところがこれで高をくくって、その後も暴力に頼ろうとしたために、五十日後には、長女夫婦は結局パトカーで連行されるはめになります。それにしても、暴力の行使は卑怯で臆病であり、そのような手段に訴える人間は軽蔑せざるをえません、しかも、その狼藉をこともあろうに母の眼前で働いたのです。余りのことに憤慨したLおじさんがたまりかねて、「お母さんの前では止めなさい」と諭して別の部屋に誘導しました。
義兄は私のみならずE男にも食ってかかっていましたし、長妹もそれをじっと見ているだけでした。それはあたかも獰猛なドーベルマンをけしかけている飼い主のような風情で、血を分けた姉とはいえ、狂ったとしか思えない哀れな姿です。長姉夫婦は、母に「こんにちは」一つ言うでなく、母の病状を気遣う素振りすら見せませんでした。
これですべて明らかです、目的は金であって、母の介護ではないことを、皆の前で証明してしまったのです。それのみならず、義兄と私、それにE男とLおじさんとが別の部屋に移った後、長姉は、一人で母の面倒を見ていた私の妻を押しのけて、母の顔面ににじり寄り「何やってんの、あんたは!ここでせいぜいいい思いをするがよい!」と母を罵倒したのです。その人間性のかけらも見えない剣幕に母も妻も泣きだしてしまいました。
妻は必死に「お姉さん、お願いだからお母さんにそんなことをするのはやめてください」と泣きながら懇願します。そこには、鬼と化した醜い長女の姿があります。その一部始終を見ていた三女は決して驚きません。「またいつものように始まったわ、母ちゃんは何十年もこれに耐えてきたんだからね」とため息をつくのみです。
妻は「私は絶対に姉を許さないわ。よくも親に対してあんな言葉がかけられるわね」と憤慨していました。彼らは金を奪うという目的を遂げると、さっさと帰ろうとしましたので、私が「母ちゃんに、『さよなら』くらい言って帰ったらどうなのか」と注意したほどです。
母の心身の状況は時々変わります、調子が良い時に調査されれば、介護必要度の認定が低くなります。例えば第三段階(食事はできるが、トイレ、入浴は介護が必要)と認定されれば、17万〜18万円が保険から出ます。しかし調子が悪い時に調査されて、第四段階(食事、トイレなどいずれも介助が必要)と認定されれば給付額は21〜27万円となります。
調査員の質にもよりけりですが、とても万人を納得させうるような認定ができるとは思えません。家族にとっては、できるだけ重く認定してもらいたいので、わざと自分の親を寝たきりにさせてしまうかもしれません。それで、市町村による認定の格差が当然生じます。
同じ日本国民でありながら、住む地域によって、認定の「甘さ」が異なるとなれば介護移民をしてでも、より「甘い」地域に移らざるを得ないでしょう。認定に対しては不服の申し立てができますが、現実には手続きは簡単ではありませんし、時間もかかります。介護保険の先進国、ドイツですでにこのような問題が浮き彫りになっているのです。
『母むつきを当てるとき』
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