加藤のメモ的日記
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「みどりの日」は「昭和の日」に「文化の日」は「明治の日」に改名すべきだ
東大名誉教授の小堀桂一郎さんが、日本の終戦記念日や独立についてとても重大な発言をしておられます。小堀さんの言うところによると、昭和天皇の誕生日だった4月29日を「みどりの日」という正体不明の祝日にしたのがまずおかしいというわけです。確かに昭和天皇の誕生日を国民みんなでお祝いしていたわけですから、崩御なされた後は「昭和節」だとか「昭和の日」という名前にすべきでしょう。
実際にそのように変えたほうがいいという運動が民間から起りました。その運動はその後に何人かの国会議員の支持が得られたので、いずれ「昭和の日」と改名されるかもしれません。そうすると、次に気になるのが11月3日の「文化の日」だと小堀さんは言っています。11月3日は、明治天皇が崩御された日なので。これも文化の日などというわけのわからない名前をやめて「明治の日」と改名すべきではないかというのです。
本当の終戦日は昭和27年4月28日である
将来「昭和の日」になるであろう4月29日の1日前の4月28日は、いったい何の日でしょうか。ご存じ方はほとんどいないと思いますが、昭和27年4月28日は、サンフランシスコ平和条約の効力が発生した日です。サンフランシスコ平和条約は、昭和26年9月に締結され、昭和27年4月28日によりその効力が発生することになったのです。
この日こそ、アメリカ軍の占領状態が解かれた日なのです。つまり終戦により、日本はアメリカを中心とする連合国に占領され、その占領状態はサンフランシスコ平和条約が効力を発揮するまで続きました。日本は戦争が終ってすぐ元の状態に戻ったのではなく。7年弱のあいだ占領され続け、その間アメリカは日本に対して占領という軍事行動をとり続けていたということです。
ですから、日本が占領を解かれ、独立国家として主権を回復することができたのは。昭和27年4月28日のことであり、この日はいわば新生日本の独立記念日なのです。また、今は終戦の日というのは8月15日になっていますが、本来ならばこの4月28日をこそ終戦記念日としなければならないのではないでしょうか。
それでは、今終戦記念日としている8月15日とは、いったい何が行なわれた日なのでしょうか。天皇陛下が終戦の詔を発布された日かというと、そうではありません。天皇陛下が終戦の詔を渙発(詔を発布)されたのは、8月14日のことでした。ポツダム宣言の受諾を通告したのも8月14日のことです。
大本営が全軍に停戦命令を下達した日かというとそうでもありません。大本営が全軍に停戦命令を下達したのは、8月16日の午後4時のことです。では、降伏文書に調印した日でしょうか。それも違います。降伏文書に調印したのは9月2日のことでした。9月2日に、降伏文書に調印することによって、停戦協定が正式に成立したわけですから、8月15日は停戦協定が成立した日でもありません。
8月15日は、終戦の詔を昭和天皇が玉音放送され、全国民が拝聴した日なのです。当時のラジオ放送は状態が悪くてよく聞こえませんでした。そために地方によっては「頑張れ」ということだろうと聞き間違えて、万歳をしたところもあったそうです。
私たちの所でも、玉音放送はよく聞こえませんでした。それでも「ポツダム宣言を受諾する」というところは聞き取れました。私は当時は学生で、学徒勤労動員に駆り出されていました。。学徒勤労動員の仲間も、ポツダム宣言ということをよく知っていたので、玉音放送を聞くやいなや「負けた」ということがわかりました。
占領後の精神的な追撃戦は実に巧妙であった
玉音放送について特筆すべきは、海外に出ていた兵隊さんも含めて600万人がピタリと戦争を止めたことです。誰一人抵抗する者もなく、ピタリと戦争を止めたということは実にすばらしいことです。あれだけの大戦争をやって、まだ十分に戦意が横溢していた軍人なども随分いたわけですが、天皇陛下のお言葉を聞くなり、すぐさま戦闘行為を停止した。そのようなことは、おそらく世界戦史に例がないのではないでしょうか。
そのことを「天皇は、確かに大きな力があるんだ」と私たちは素直に思いますが、最近はそれを逆手にとって、「そんなに力のある天皇なら、なぜ開戦を止めることができなかったのか」と持っていく人もいます。
玉音放送のあった昭和20年8月15日から、昭和27年4月28日までの6年8ヶ月間、日本は占領されていたわけですが、そのことに対する認識は当時も今もあまり明瞭ではありません。そのことが、戦後の日本のふがいなさを決定づけたのではないでょうか。というのも、その6年8ヶ月間、日本という国には抵抗力というものが著しく低下していたのです。
そのほとんど無抵抗な日本に、さながら追撃戦を仕掛けるように、戦勝国はさまざまなことを仕掛けてきたわけです。その代表が東京裁判です。その他にも日本国憲法採択の強制、教育勅語の廃止と無効の確認、教育基本法の制定、マスコミの検閲など、日本人の精神面に関する追撃戦に容赦はありませんでした。
しかもこれら一連の日本人への精神面への追撃は、実に巧妙にして卑劣きわまりないものでした。連合軍が強制的にやらせているにもかかわらず、あたかも日本人が自発的にやったかのように装わせたのです。そのため、あまり情報の入らなかった当時の日本人は、それらのことをみんな日本人が自発的にやったと信じ込みました。その思い違いは、今もかなりの部分で続いています。
『国思う故にわれあり』
…つまり M34 1901 4/29 昭和天皇の誕生日
S20 8/06 広島に原爆投下 8/09 長崎に原爆投下 8/14 天皇が終戦の詔を発布し、ポツダム宣言を受諾した。 8/15 天皇の玉音放送があった。 8/16 大本営が全軍に停戦命令を出した。
S26.9月 サンフランシスコ平和条約が締結され S27.4/28 その効力が発生した。この日に米軍の占領が終わり独立国家とな った。従ってこの日を終戦記念日としなければならないというこ とだナ。
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