加藤のメモ的日記
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結局何か事件が起こればノンキャリアから血を流す。キャリアの犠牲は最低限に留め、どうしようもなくなったら若手からスケープゴートを出す。これが霞が関における、一般的な決着のつけ方といえそうだ。少なくともここ数年のうちに立て続けに起こった旧大蔵省、外務省のスキャンダルを見る限り、それが国民の率直な感想ではないか。そういえばお隣の永田町においても、似たようなセリフをしょっちゅう耳にするな……と誰でも連想してしまう。疑惑の浮上した政治家による常套句。―「それは秘書が勝手にやったことで……」。
「いや。処分内容は懲戒減給といったって、現実には自主退職を迫られる。これさえなければ将来事務次官になれたかもしれない幹部職員からすれば、その経歴を捨てなければならなかったというだけでも、社会的な罰は受けたと言えるのではないか?」好意的に解釈すれば、このような弁護の声も聞こえてきそうである。実際、内部的な処分は“停職”や“減給”でも、その後これを機に追われるように省を離れた幹部たちも多い。
それでも法律で罪に問われたノンキャリアたちの身の上からすれば、そんな社会的制裁など屁みたいなものだろう。司法機関によりはっきり“犯罪者”と名指しされた彼ら。理想論はどうあれ、いかに塀の中で罪を償ってこようとも、いったん”前科者”の烙印を押されれば一生社会で肩身の狭い思いをすることになるのがこの国の“現実”なのだから。
「いや。実際にキャリアは省内で、自らの手で金を扱うようなドロドロした実務に従事していない。巧みな経理操作で裏金を捻出するような、そんな知恵も技術も持っていないんだ。そうした裏方の仕事は常日頃から、すべてノンキャリアがやっている。そしてそんなノンキャリアから差し出された裏金を、出所も知らずにノホホンと使っているのがキャリアだ。本当に悪い事と知らずにやっているんだから、現実に法で罪に問うのは難しいんじゃないの?」
そういう指摘をする向きもあるかもしれない。なるほどそれは一理あろう。確かに役所の中で経理や人事という“キナ臭い“実務はすべてノンキャリアがこなしているのが現状。そして裏でどんなドロドロした操作が行なわれているかトンと知らぬまま、対外交渉などの表の仕事をしているのがキャリアの実像なのだ。だから現実に法を適用する際は、ノンキャリアに対するより“技術的”困難があるのは事実かもしれない。
しかし忘れないでほしい、これまで名前の取りざたされた“不逮捕”キャリアたちはいずれも逮捕されたノンキャリア職員を指揮する立場の高い位置にいた。当然彼らには監督責任というものがある。もちろんそれが問題とされて”懲戒減給”その他の処分になった。だが、それにしても基本的に全体的に処罰が甘すぎないか。責任ある者ほど重い罪に問われる。それが一般社会における常識であろう。
ましてやコトは、公的資金や権限を私的に活用し、国の信用をドン底まで貶めた“犯罪”に対するものである。一般の使用者責任などよりずっと重い罪に問われるべきなのは当然ではないのか。しかも外務省におけるスキャンダルは、代金水増し請求からプール金の私的流用と、犯している宇野は逮捕された者とまったく同じ行為である。松尾元室長の捻出した裏金で、飲み食いをさせてもらっていたキャリアも数多いという。それどころか旧大蔵省の中島元次長にいたっては問題視されたのは中国の健康飲料輸入、販売契約を民間と取り交わすという国家公務員法上の「兼職禁止」に触れるであろう違法行為。なのに彼は現在、民間企業から役員待遇で職を得ているというのだから何をかいわんやである。塀の内に落ちた面々からすれば、まさに“雲泥”の境遇であろう。
結局彼らの“塀の内外”の運命を分けたのは、懐に入れた金額の多寡ともう一つ。何よりキャリアとノンキャリアの差、これであろう。責任ある地位にあるキャリア幹部が逮捕・起訴などされたのでは、省全体の名誉が失墜してしまう(そもそもそんなものとっくに失墜しているのだが)職員の士気に与える影響も大きく、到底そういう事態は避けなければならない。
つまりはそういう判断なのだろう。だから横の繋がりもある(首相官邸や内閣府などの出向先で席を並べることも多い)検察・警察上部のキャリアと手打ちをして、ノンキャリアの首を差し出すだけで勘弁してもらう。そのあたりの“思慮”についてはおそらく一般の市民も薄々感づいているのではないか。
『霞が関残酷物語』
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