加藤のメモ的日記
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2010年03月20日(土) 私の幽体離脱体験

私は幽体離脱の体験を何度かしています。そのたびに人間の魂の不思議さを感じています。魂は幼い頃にいつも遊んだ象山という丘に登ったり、小さい頃に通っていた小学校の校舎のそばを流れる川を見に行ったりします。夢と現実の中間地帯にいるような不思議な感覚で、言葉で表現するのが困難な体験です。かといって現実では絶対ありえないような体験です。生まれて初めて魂が肉体を離れて徘徊した時のことをお話しましょう。

今から30年近く前です。それは暑くて寝苦しい真夏の夜のことでした。幼稚園に通っている一番下の息子に寝冷えをさせないようにと、扇風機を止め、少しだけ窓を開けました。でも、なかなか寝付けず、しばらくの間は寝苦しさに体をもてあまし、右をむいてみたり仰向けになったり、寝ようと努力していました。

どのくらいの時間そうしていたか覚えていません。すると、自分の体から、もう一人の自分が抜けていくことに気付いたのです。体はゆっくりと天井に吸い寄せられていき、マグネットでもついているかのように、背中の一部を天井板にくっつけ、さらに二度、三度その場を回転したように思います。天井にある魂は寝苦しそうに布団の上で動き回っている、もう一人の自分を眺めていました。

開いている窓の隙間から、涼しげな風が部屋の中に入ってきます。もうたまらなく外の空気を吸ってみたくなりました、私は難なく窓の隙間を抜け、空を浮遊していました。子供たちを散歩に連れていく公園を見降ろしながら、さほど高くはなくそう、屋根よりも2,3メートル上空あたりを徘徊しました。私が日常の生活をしている街の家並みや道路を眼下に眺めるのは奇妙に楽しかったし、なにしろ、家の中は暑さでむっとした感じですから、こうしてずっと浮遊していたいと思ったほどでした。

真夜中ですから、さっきの夕食どきに買い物をしたマーケットは、鎧戸をおろして暗闇の中に静まりかえり、どこか見知らぬ土地を旅しているような気分でした。浮遊しながらも自分の意思で生きたい所には自由に移動できるのは便利でした。目的地はないのですが、止まってみたい、降りてみたいという時にはそれができるのです。

商店街を過ぎて、写真屋さんの所まで来た時です。どこからかニワトリの朝を告げる声が聞こえて来ました。もう帰らなければ。それまで気分よく徘徊していたのが、急に家に残してきた子供たちのことが心配になりました。私はゆっくりと家の方へと旋回しました。実際、さほど遠方には行こうという木は当初からなかったようです。

私の頭からはいつだって、どんなときだって子供たちのことが離れなかったのですから。朝になったら、子供たちを起こしてご飯を食べさせなければ、学校にやらなければと、ただそれだけが頭にいっぱいで、こうしてははいられない、帰らなければと焦る気持ちになってしまうのです。

わたしの魂は部屋を出た時と同じコースを通って、布団の上の体へと戻っていきました。朝、起きようとしたら、体がへとへとに疲れて、起き上がれるような状態ではなかったことを記憶しています。幽体離脱した後はいつでも、極度の疲労感に口をきくことさえできなくなります。



『宜保愛子の死後の世界』

宜保愛子 2003年5月16日 71才 胃がんで死去


加藤  |MAIL