加藤のメモ的日記
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2010年03月10日(水) 日本共産党の負うべき罪(1)

…だが、そうした兵本氏の調査活動を最も熱心に”妨害”したのが、実は、日本共産党委員長(当時)だった不破哲三氏であり、結論としてこの拉致調査が原因で、兵本氏は98年に党を「除名」されるのである。そうした事情を知っている者が先の発言を耳にすれば、まさしく”開いた口がふさがらない”ということになろう。

結論すれば、拉致問題に最期まで“消極的”だった政党が日本共産党であり、その共産党が「拉致疑惑の存在を認めさせ、道理ある解決方法を提案した」などと声高に主張しているのは、この党ならでハレンチ行為に他ならない。加えて、この党には日本国民から糾弾されるべき過去の重大な歴史的事実がある。それは昭和34年から始まる北朝鮮帰国事業を、その中心となって推進したことであり、同党はその責任についていまだに頬かむりしたままである。

差別もないし、新しい祖国で自分の能力を生かそうと胸をふくらませ、希望に燃えて日本海を渡った9万3千人の在日朝鮮人とその家族たち…。社会主義はバラ色との幻想に騙された在日朝鮮人は、地域的にいえばその9割が今の韓国地域の出身者だった。だが、“宣伝”されていた「地上の楽園」とは裏腹に、その実体は地上の“生き地獄”に他ならなかった。

その状況は、第一陣が帰国して二年もしないうちに届いた帰国者らの手紙などによって十分推察できた。帰国者らの手紙の内容は、生活物資や金を送れという「地上の楽園」であればおよそ考えられないような悲惨なものだったからである。

こうした現実を無視し日本共産党は、彼らを「凍土」に送り込む”先頭”に立ち続けた。日本人配偶者も1.800人がかの地に渡ったが、現存するのはいまや300人以下ともいわれている。同党は1968年くらいから朝鮮労働党との関係はまずくなっていたと弁明するが、何のことはない。その後の1971年の帰国事業の再開にいたるまで、継続してその活動を推進していたのは日本共産党にほかならない。

最初の帰国船が出航したのが、同党の最初の赤旗祭りが行なわれた翌月(昭和34年12月)だったというのも、なんとも因縁めいた話である。その40数年後の赤旗祭りにおいて、同党のトップである不破氏が「北朝鮮を正面から厳しく批判したのは日本共産党だけでした」というような発言を臆面もなく繰り返しているのである。

歴史的犯罪ともいえるこれらの行為に対し、日本共産党はなんら総括しないどころか、被害者に対するいっぺんの謝罪すら行なっていない。「あれは人道支援だった」と述べ、ひたすら”結果責任”から逃れようと躍起になっているていたらくだ。果たしてこのような政党がまともな政治勢力といえるのだろうか。自分の行動に責任を持ち模範となるべき政党が、そこに背を向け自己に都合のいい“宣伝”のみを繰り返している。こうした「欺瞞的体質」にもはや国民は呆れかえっている。

2002年9月17日。この日は、日本外交史において特筆すべき日としてとどめられるあろう。小泉純一郎首相が、北朝鮮を戦後の日本国首相として初めて訪問し、朝鮮労働党の金正日総書記と直接会談し、懸案であった北朝鮮工作員らによる日本人拉致問題について、金総書記がその事実を自ら認め、謝罪するに至ったからである。

だが北朝鮮にとって、小泉訪朝はかっての帰還事業の功罪という、別の“パンドラの箱”を開ける結果ともなった。もしも近い将来、北朝鮮と日本が国交正常化し、両国民の自由往来が可能になれば、帰国者10万人の行方や暮らしぶりが責任問題として大きくクローズアップされることになろう。さらに北朝鮮を逃れ、中国との国境で生死をさまよっているこれら帰国者たちについても同様だ。

その意味でも日本共産党は、帰国運動を熱心に煽ったかっての「罪」を認め、被害者といえる帰国者やその家族に謝罪し、贖罪の意味からも北朝鮮に現存する帰国者と日本人配偶者やその家族らを連れ戻すべく、先頭に立って行動すべきである。

逆に同党は、そうした運動へ参加しようとする党員を処罰し、追放し、党のメンツのみを守ろうと努めてきた。そうした事実を目の当たりにすれば、多くの国民が憤りを感じるだろう。朝鮮労働党と最後まで強い信頼関係を持ち続けて来たあの日本社会党でさえ、拉致問題の対応について国民に謝罪を行なった事実を指摘しておかねばならない。それに比べ日本共産党は、過去の責任について無視を決め込み、逃避し、美辞麗句な言葉で党員だけでなく、国民をも欺き続けている。果たしてこのような事態が許されていいのだろうか。


加藤  |MAIL