加藤のメモ的日記
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| 2010年03月07日(日) |
ピラミッドはだれが作ったのか |
例えば三大ピラミッドは、それぞれ伝統的に第四王朝のファラオであるクフ、カフラー、メンカウラーの王墓とされてきた。だが、ファラオの遺体は何一つの発見されていない。大ピラミッドの「王の間」の上部にある空洞には「粗雑に塗られた落書き」があり、その文字こそがクフ王に所属する証拠だと見られてきたが、実際にその見解を裏付けるようなものはない。
大ピラミッドにはこれ以外に全く碑文がないが、それはカフラーとメンカウラーのピラミッドでも同じことだ。さらに大ピラミッドの脇にある三つの小さな「衛星」ピラミッドや、メンカウラーのピラミッドの脇にある三つの小さな衛星ピラミッドにも全く碑文が書かれていない。六つの衛星ピラミッドの中からは、第四王朝時代の遺品が見つかってはいるものの、それが遺跡が建造された時代のものかどうかは定かでない。
それは葬祭殿で発見されたメンカウラーの彫像や、河岸神殿で発見されたカフラーの彫像でも同じだ。これらの彫像こそ碑文もなく、作者不詳の大建造物をファラオと結びつける唯一の証拠である。だが論理的には、ただ結びつきを示唆しているにすぎない。裏付けにな成っていないのだ。言いかえれば、カフラーとメンカウラーが神殿を築いたかもしれない。だが、可能性は他にもある。
以前から存在していた建造物を遺産として受け取り、修復した上である目的を持って自分たちの彫像を作ったとも言えるのではないか。考えてみれば、ロンドンのトラファルガー広場にネルソン提督の彫像が立っている」からといって、広場の建物をネルソンが建てたものだとは誰も思わないだろう。
エジプト学者は河岸神殿でカフラーの彫像が見つかったからといって、この神殿をカフラー王が建てたと主張するがこれは行きすぎではないだろうか?事実、これはギザのネクロポリス全体に対して言えることなのだ、第四王朝と関係があることに疑いの余地はない。だが、どんな関係であったかはまったくさ証明されていない。
碑文がたくさん書き込まれた第四王朝時代のマスタバ墳墓が、大ピラミッドの東と西、スフィンクスの西に大量に存在するのは事実だ。だが、スフィンクスが「単なる墓でしかない」というのはまったくの推量にすぎない。世界中の遺跡を見てもわかるように、ある目的で作られた太古の聖なる場所が、別の人々にはまったく別の目的で再利用されるのはよくあることだ。
例えば、ピラミッドとその周辺の遺跡は、もともと純粋に葬儀や儀式、宗教の行事を行なう場所だったかもしれない。遺品から判断して、周囲には主に第四王朝の王妃や貴人の遺体が埋められているが、最初に建造された時とは何ら関係がなく、太古からの有名な聖地だというので埋葬したことも考えられる。
欧米では現在でも、中世の大聖堂に知遇を得ていた個人が、その庭に遺体を埋葬する習慣がある。しかし、だからといって大聖堂が墓であるとか、埋葬のために造られてという結論にはならない。
『創世の守護神』
ピラミッドは宇宙人がつくって、その中に後世のエジプト人が王のミイラを入れたのだろう。ピラミッドを構成する一個数百トンから2.000トンもの石は、現代のクレーンでも持ち上げられないという。また石切り場から運ぼうにもびくともしないだろう。内部に長い通路があるが、その直線の誤差は数ミリということだ。ピラミッドの頂上で、時々止まっているUFOが見られるという。エネルギーを充電しているのではないかといわれている。
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