加藤のメモ的日記
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2010年03月02日(火) 中森明菜

1993年の3月5日、ニューヨークの出来事です。夕方の6時ごろ明菜さんから「今すぐ来て」という電話がありました。その前に、アメリカでのコーディネーター・三木(孝介)さんからも「明菜さんの具合が悪いので様子を見に行ってください」と電話で言われていたので、私は大急ぎでニューヨークの8番街にある彼女ののマンションに向かいました。ニューヨークの冬は寒さが厳しく、冷たい風がビルの隙間を擦り抜け地面に吹きつけていました。

明菜さんの部屋につくと、彼女はリビングのソファーにうずくまっていました。「どうしたの?」「胃が痛いの」明菜さんはよく胃痙攣を起こし、気分が悪くなったり胃の痛みを訴えたりすることが多かったので、私は彼女の横に座り、「痛い、痛い」というところをさすってあげました。

しばらくして落ちつくと彼女は、今まで何回か彼女から聞かされたことのある「病気」の話をし始めました。生まれた時、彼女は未熟児でした。その頃から彼女は体が相当に弱く、いつも熱が出て体力がないので、ある日病院で皮下注射をされたそうです。それが左の腰あたりで明らかに失敗だったようです。その医療ミスによって彼女はずっと左足が悪く、足を引き摺って歩いたり、疲れると痛くなったりするのです。

カラオケに行ってもボックスに長時間座っていられず2時間くらいすると、ソファーから降りて床に正座したりすることもあるのです。ドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)を収録していた時もそうでした。彼女はダンサーの役でしたのでかなりハードな踊りをします。収録が終わるたびに脚が動かないと言っていました。バターンと仰向けに倒れたりすることも、よくあったそうです。

千葉の幕張メッセでコンサートをした時もそうです。舞台に立てば彼女もプロですからシャンとするのでしょうが、終わった後救急車で運ばれました。幕が閉まった直後その姿勢のまま真うしろにバターンと倒れていたというのです。一緒にニューヨークの街を歩いていてもそうでした。「明菜さん、足を引き摺っているんじゃない?」と聞くと「お母さん、痛いの」と泣き出しそうな顔をしていました。

明菜さんはその頃私のことを「お母さん」と呼んでいました。「病院に行きなさい」「うん、でも病院に行ったら、歩けなくなるかもしれないって言われたの。だから怖くてもう行けない」彼女の脚に関しては日本でかかり付けの先生がいると聞きました。彼女の脚は年齢を重ねるごとに、ひどくなるらしいのです。

だから「私はもしかして、歌手もダメじゃないか」という不安が、彼女の中にでとても大きな影を落としていたのです。「お母さん、私、もしかして歌えなくなるかもしれない。足が動かなくなったら、どうしよう。歩けなくなるかもしれないって言われたし……」そういう彼女を、私が叱咤激励しても「続けられなくなるかもしれない。お母さん、脚が動かなくなったらどうしよう」と泣くのです。

その日彼女は黒のスパッツに薄手のブラウスを着ていたのですが、その上から「ここよ。ここに注射をしたの。それで、失敗して固くなったの」と私に示したのです。ちょうど左の腰骨の下あたりから大腿部にかけて、触ると本当にカチカチに固くなっているのです。右側の同じ場所は普通で柔らかいのですが、左側は本当に驚くほど固いのです。

カチカチに固まった皮膚を、私はさすったり揉んだりしてあげました。少し柔らかくなったかなと思っても、やはりすぐ固くなってしまいます。20分ほどすると、彼女は私の膝に頭を乗せたまま眠ってしまいました。足を動かすと彼女を起こしてしまうと思い、私はそのままの姿勢で膝枕をし、彼女の腰や足をさすり続けました。

すやすやと寝息をたてて眠る彼女を見ていると。ふと彼女の頬に一本の涙の跡があるのに気がつきました。体が痛くて泣いていたのでしょう。歩けなくなることが不安で泣いていたのでしょうか。それとも何か他の理由でもあったのでしょうか。彼女のことを想うと私も目頭が熱くなってしまいました。(彼女のために、何か私にできることはないかしら。何とかして、彼女に幸せになってほしい……)

私はぼやけた視界のまま、彼女の固くなった脚を一生懸命さすっていました。


「悲しい性」


加藤  |MAIL