加藤のメモ的日記
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2010年02月28日(日) 731部隊

日本における科学者の戦争協力で最も有名かつ醜悪なのは、満州関東軍731部隊(通称石井部隊)による生物兵器の開発とそのための人体実験であるだろう。そして、直接手を下した中堅医学者のみならず、嘱託研究者という名の有力教授の参画があったという意味では組織犯罪であった。にもかかわらず、医学者自身による実態の解明がなされないままウヤムヤになってしまった。

1920年に京都帝国大学の医学部を卒業した石井四朗は、直ちに陸軍軍医として任官し、1934年に軍医学校教官になった。日頃から生物戦への備えの必要性を説き、生物兵器を研究することの重要性を主張していた氏を首班とする防疫研究室が軍医学校に新設されたのは1932年4月である。

それと軌を一にするかのように、満州に「東郷部隊(機密保持のために石井は東郷という変名を使っていた)」を発足させており、そこが中国人捕虜に対する人体実験の場となった。防疫研究室(東京)や東郷部隊(満州奥地)に参加していたのは始めは軍医であり、生物戦の攻撃と防衛の研究と開発を実行することが主目的であった。

やがて、1936年に関東軍貿易部(通称、満州731部隊)が正式発足してから多くの大学から医学者(細菌学、病理学、動物医学)だけでなく、植物学・昆虫学・食品衛生学の研究者が満州に派遣されるようになった。石井は生物兵器の研究・開発だけでなく軍医医学の全体を網羅し人体実験ができる医学研究機関を創設したいと考えていたようである。

そこで幅広い人脈のネットワークを作るため、石井は京大や東大などの教授を「嘱託研究員」とし、その説得によって助教授や講師・助手などの若手研究者を731部隊に派遣してもらうという方法を採用した。京大や東大の教授は、うすうす人体実験が行われていることを知りつつ、それをバックアップする役割を引き受けたのである。

嘱託研究員とは大学にいて研究し、必要な場合には軍医学校防疫研究室に研究成果を知らせて(ワクチンなら現物を持ちこんで)植民地にある石井部隊に派遣されていた研究者に捕虜を使って人体実験をやらせ、その結果を防疫研究室から受け取って研究成果を得る、という実にうまみのある立場である。

自らは人体実験に直接手を染めず、しかしその結果は自分の業績として利用できるからだ。い学者にとっては人体実験ほど魅力的なものはない。例えば新薬の開発において、通常は動物実験を行ない、そこで良い結果が得られると副作用がないかどうかを人体を使って実験に移ることになる。その場合実験の被験者には自由意思で参加すること、生命の危険があれば直ちに止めること、という厳しい条件が課せられている。いくら戦争中とはいえ、日本国内においてはそのような手続きを取らねばならなかった。

ところが731部隊を使えば厄介な手続き抜きで人体実験が行なえるのである。はじめから捕虜(マルタと呼ばれた。人間扱いされていない証拠である)を使った人体実験が行なえれば動物実験をすっ飛ばすことができるし、薬の量を自在に調合して服用させ適量を探せばよいことになる。(薬の量が多すぎて被験者が死亡しても捕虜だから文句を言われない)

731部隊ではワクチンの開発や凍傷治療の研究などが行なわれたが、被験者の人権には何ら配慮されることがなく残酷な人体実験が次々と執行された。そして、その成果が嘱託研究員の研究業績に加えられたのだ。ではなぜ許されない人体実験が行なわれていると知りながらも協力したのだろうか。おそらく科学研究のためにはすべてが許されると考えたのではないだろうか。あるいはどうせ捕虜は殺されるのだから、科学の進歩に貢献し、人の役に立つなら本望だろう、という勝手な決めつけもあったかもしれない。

いずれも、自らは医学の発展に尽くしているという傲慢さが背景にあるのだ。「それによって得られた結果は、後の人の治療に役立つではないか」というわけだ。アメリカで、患者に無断で放射能を飲ませて放射線の人体への影響を調べた研究者がいた。彼の言い訳は「それによって放射線への許容量を決めることができ、国際基準になっているではないか」というものであった。「最大多数の最大幸福」という功利主義哲学の命ずるままに振舞ったのである。)

そして何より人体実験ができるというそのこと自身が大きな魅力であったのだろう。(だから、人体実験を「知りながらも協力した」のではなく「知っていたために協力した」と言える)日頃やりえない実験ができるのである。さらに言えば、軍隊であるために研究資材や研究費が自在に使え、思いのままの実験が行えたことも魅力であったに違いない。まさに「学問の自由」が保障されていたのだ。

ここで行なわれたことは、ある人を救うためという口実で別の人間を殺傷するという残酷な事実である。そのような矛盾した行為は許されないという基本倫理に決定的に欠けていたのだ。「真理」を優先して「倫理」を置き去りにする態度である。「真理」と「倫理」のジレンマに悩むことなく、率先して「真理」を優先したと言える。そのことは、731部隊に参加して「業績を上げた医学者が、戦後になって何ら咎められることなく、有名大学の教授に収まったり医学関係の要職についたりしたことからもわかる。

研究「業績」が一番で、それがどのような手段で得られたかいっさい問題にならなかったのだ。そして結局現在に至るまでウヤムヤのままである。それに比して、ナチスの人体実験に協力した歴史を持つドイツ医師会は、1989年に「1918年から1945年までのドイツ医学」展を開催し、医師の倫理が破壊された時代を問いなおしたという。戦争犯罪を直視したドイツとウヤムヤのまま闇に葬り去った日本、彼我の差が、戦争犯罪を断罪しないままやり過ごそうとする、戦後日本の致命的欠陥を露呈しているようである。


『禁断の科学』


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