加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2010年02月20日(土) |
日本は侵略国家であったのか |
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、中国大陸や朝鮮半島に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追及されるが我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理やり締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は繁雑にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃をしかけ、米国軍人およびその家族などを暴行、惨殺するようなものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追及するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミュンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミュンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数込んでいた。コミュンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党のたび重なる挑発についに我慢しきれなくなって、1937年8月15日日本の近衛文麿内閣は、「今や断固たる措置をとる」という声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれたた被害者なのである。1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
最近ではコミュンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の盧溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている。もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がったから日本もやっていいと言うことにはならないが、日本だけが侵略国家だと言われる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝国は成立当時の1932年1月には3000万人の人口であったが毎年一100万人以上もの人口が増え続け、1945年の終戦時には5000万人増加していたのである。
満州の人口はなぜ爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安がよかったからである。侵略といわれるような行為が行なわれる所に人が集まるわけがない。農業以外に殆ど産業のなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35年間で1300万人の人口が2500万人と約2倍に増えている「朝鮮総督統計年間」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安がよかった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力奥によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
『田母神俊雄論文』
|