加藤のメモ的日記
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| 2010年02月13日(土) |
通り魔に殺された母の声を |
―通り魔に子を殺された母の声…「心神喪失」の名のもと、罪に問われぬ奴がいる。
「社会に責任があるって、よく言いますやろ。あれ、どういうことですの?」兵庫県明石市にある割烹「一とく」のカウンター越しに、女将の曽我部とし子さんと私は話をしていた。お会いするのは、これで5回目になる。
曽我部さんは、いつも私に何かをずばりと聞く。その瞬間、まず私の頭の中をよぎるのは、専門家ならこのように答えるだろう、けれどもそんな暗記しただけの”正答”に曽我部さんは納得がゆかなかったのだろうなあ、という脱力感である。「本当に責任をとらなければならない者を半人前扱いにして、事件そのものが『なかったこと』にしたいとき、社会に責任があるっていう言い方をするんだと思います」
私はそのように答えた。もちろんまだ、曽我部さんは納得したふうではない。そんな簡単に納得できるわけがないのである。1996年6月9日、長男の雅夫君(当時24才)が外出したのは午後1時。その1年半前から魚屋で包丁さばきを修業したあと、「一とく」の三代となる決意をして店を手伝っていた。
雅夫君を慕って若い常連客も増え、売り上げも順調に伸びて、とし子さんは前途有望な後継ぎに目を細めるばかりだった。雅夫君が出がけに「ゆっくり楽しんでこいや」と母に言ったのは、その日の午後、母がずっと以前から楽しみにしていた里美浩太郎ショーがあったからだ。その間の準備は、俺に任しといて―。
店から500メートルほどしか離れていないJR明石駅近くの繁華街の歩道で、一面識もない西嶋恭司(当時47才)に、雅夫君がいきなり背中を刺されたのは午後2時30分だった。その5分後、さらに東へ50メートル離れた交差点で信号待ちしていた若い夫婦も西嶋に襲われる。
西嶋は刃渡り18センチの包丁を振りまわし、「殺したる」とわめきながら近づいて来た。とっさに身重の妻(当時20歳)をかばった夫(同20才)は転倒してしまう。そこへ馬乗りになった西島は、男性の右脇腹を二度刺した。「大量出血のため雅夫君が亡くなったのは、刺されてから40分後のことだった。
「息子さんが救急車で運ばれた病院からの請求は、誰が払ったのですか」と私は曽我部さんに訪ねた。「私です。ほんま、おかしいですよねえ」雅夫君の医療費を、国は一銭も負担していない。二人を殺傷した西島は、通行人に取り押さえられた時、ちょっと怪我をした。その治療費は全額国が負担している。
この年、日本全体で加害者には総計46億円の国選弁護士報酬と食料費+医療費+被服費に300億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計しても5億7千万円しか支払われていない。二私が調べたところ、西島は現行犯であるにもかかわらず、現場では逮捕されていない。パトカー先導の救急車で病院に運ばれ、自業自得で「10日間の怪我」を負っただけなのに、明石署は殺人と殺人未遂の容疑で逮捕状を地裁支部に請求したものの、その軽い怪我が完治するまで逮捕もしなかった。
新聞各紙は10日の夕刊あるいは11日の朝刊で、小さな記事を掲げてはいる。「どうやら普通ではないらしい」との情報を明石署から得た記者たちは、被害者3人を実名報道しながら、凶悪犯の名前を伏せた。《二人とも病院に運ばれ、Ο○さんは二週間、男は10日の怪我をした》(朝日新聞」96年6月10日夕刊)記事中の○○には、信号待ちをしていて西島に襲われた若い男性被害者の実名が入っている。にもかかわらず犯人の実名は避け「男」又は「土木作業員」とだけ書き、これで人権配慮記事いっちょうあがり、ということらしい。
しかも《二人とも病院に運ばれ》の《二人》には、直後に絶命した雅夫君が入っていない。犯人と被害者を仲良く《二人とも》などと併記する神経にも私はいらだつ。不起訴になりそうだとの感触を得た記者たちは足並みそろえて取材を放棄し、神戸新聞(97年12月24日)を例外として、各紙とも続報を書いていない。芸能人ならのぞきや覚せい剤程度で執拗かつ大げさに続報を書くくせに(あえてのぞきや覚せい剤「程度」と言っておく。殺人と比較した被害の実態に照らして、だ)。
雅夫君より3歳下の二男隆徳さんは、葬儀の挨拶でこう話している。「兄は、これから幸せになるはずでした―」隆徳さんは留学中の米国から後日、母にこんな手紙を送っている。「加害者に対する最高の復讐は、被害者が幸福になることだと、自分は思っています」
『そして殺人者は野に放たれる』
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