加藤のメモ的日記
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| 2010年02月12日(金) |
宇宙における知的生命の数 |
●彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている
フェルミの疑問に対する最初の答えはすぐに返ってきた。フェルミがロスアラモスでよく昼食を共にした仲間の一人レオ・シラードが、冗談で「彼らはもう我々の間にいて、自分ではハンガリー人だと言っているんだ」と言ったのである。
ロスアラモスの理論部門でしばしば語られた、突拍子もない話があった。ハンガリー人は火星人だというのである。何百万年、何千万年前、火星人は故郷の惑星を離れ地球へやってきて、今のハンガリーになっている所へ着陸した。当時ヨーロッパの諸部族はまだ野蛮人で、火星人は人間になりすました。
よそ者が自分たちに混じっているのではないかと野蛮人が疑うと、血が流れることになっただろう。火星人はうまくその進化による違いを隠しきったが、三つだけ例外がある。一つは放浪癖で、これはハンガリーのジプシーに顕著に表れている。
次に言語である。ハンガリー言はオーストラリア、クロアチア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、ウクライナといった近隣で話されていた他のインドヨーロッパ諸国語のいずれとも類縁関係がない。さらに知能である。その知能の力はただの人間とは思えない。
この説にとっては残念なことに、歴史上のある時期放浪癖を示したことのある民族はいろいろとある。ハンガリー語は決して特異ではなく、フィンランド語、エストニア語、ロシアで話されているいくつかの言語と類縁がある。しかし第三の特徴は、ロスアラモスでは明らかだった。
フェルミが生きている間に付き合いのあった人々の中には、当のシラード以外にも、ユージン、ヴィグナーー、エドワード、ジョン、フォン・ノイマンもいた。この4人の反ハンガリー人は、十年ほどの間に相前後してブダペストで生まれた。ロスアラモスには他にもセオドア・フォン・カルマンという、やはりブダペスト生まれながら他の四人の少し前に生まれた人物もいた。
これら「火星人」は確かにものすごい知性集団をなしていた。物理学者のシラードはいくつもの分野に貢献した。テラーは水爆開発の原動力となった。ヴィグナーは量子論における業績で1963年のノーベル賞を受賞した。工学者のフォン・カルマンは、初期のロケット工学、超音速の抵抗の理論の研究を行い、その研究は超音速航空機の設計につながった。
もちろん火星人たちの中で一番頭がよかったのはフォン・ノイマンだった。ジョン・フォン・ノイマンは二十世紀でも傑出した数学者の一人である。ゲームの理論の分野を開き、量子論、エルゴード理論、集合論、統計学、数値解析にも基本的な貢献をした。初の柔軟なプログラム読み込み式のデジタル、コンピューターを開発する仕事も支えて、その名声を獲得した。
晩年は大企業や軍の顧問になり、その脳が時分割式の大型コンピューターであるかのように、様々な事業に時間を配分していた。頭の中で数学の問題を解く計算力は伝説的だ。フェルミと計算競争をすれば必ず勝った。ほとんど写真のような記憶力は、この世のものとは思えない知能という雰囲気を増した。
「ハンガリー人はエイリアンだ」という説に見事に合致する才能は他にもあった。「遊び好きのジョニー」はプリンストンのパーティーでは大量のアルコールを取り入れ、それでも頭の働きが鈍ることはなかったらしい。自動車事故を次々と起こしながら、プリンストンのある交差点はノイマンが次々と事故を起こしたせいで「フォン・ノイマン。コーナー」とよばれた。
本人は怪我もせず歩いて立ち去った。しかし「世界で一番頭がいい男」でも時には間違うこともある。フォン・ノイマンはデジタルコンピューターの開発の要になる役割を果たし、数学者としてはあまり例のないほどわれわれの生活に影響を及ぼしているが、コンピューターはこれから先も巨大な装置で、水爆を作ったり天候を制御したりするだけに役立つものと考えていたらしい。
コンピューターがトースターからデープデッキにいたる日常のすべてに組み込まれるような日を予測することはできなかった。もちろん、本当の火星人ならもう少し先が見えただろう。
…………
動物の能力を人間の能力を基にして量るのも傲慢で人間中心に思える。鳥は人間が独力ではかなわないような航行能力を示す。海洋動物には人間とは違う電流の感じ方をするものがある。犬は人間の知覚できる範囲を超えた音を聞き、人間の鼻では何も感じない臭いをかぐことができる。コウモリは信じがたいような反響定位方式を用いている。ノラ猫は餌を食べている時、そばにいる人間が頭を触ろうとすると、気配に気づき振りかえる。
馬は人間が気づかない合図に気づくことが知られている。その他いろいろである。どんな種にもそれぞれの能力があり、進化によって鍛えられている。それによってその動物は、自分が生きられるように計らってくれるわけではない世の中を渡っていけるようになる。
この多様性は驚くべきもので、また称えるべきものである。他の生物種を人間にできることがどれだけうまくできるか、あるいはどれだけ下手かでとやかく言うのは、それらの生物種を不当に貶めることである。
●宇宙における知的生命の数
知的生命にいたる道筋にn個の起きにくい段階があ、それぞれの段階が生じるのに普通d年かかるとしよう。さらに、知的生命が存在しうる惑星がp個あり、そのそれぞれはt年間生命を維持できたとする。向こうにいる知的生命の数は、p×[t/(n×d)]のn乗という式で与えられる。甘く見て、すべての銀河にあるすべての恒星に、生命が維持できる惑星が一つあるとしよう。pはおそらく10の22乗である。さらに甘くなって、すべての惑星は、宇宙の年齢と同じくらいの間、生命が維持できるとしよう。
するとtは10の10乗年ほどになる。しかしながら、dは長くなければならない。そうであればこそ、この段階は起きにくいといわれるのだ。そこでdは10の12乗ほどにしよう。宇宙の年齢の100倍ほどである。それから先ほどと同様、起きにくい段階が12あるとする。n=12である。これらの数を先の式に入れれば、存在する知的生命の数は10の−15乗ということになる。
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』
しかし私は中学生の頃に夜、円盤を見たのである。この広い大宇宙の住人が地球人だけとは考えにくい。コロンブスが世界一周するまでの人々はこの世界は俺たちだけで、海の向こうは滝になっている、というのと似た感覚である。宇宙人はいる、という意見はアカデミズムからはタブーとなっているようである。いないという意見がもっともらしく取り上げられるのは、ある強大な勢力の意向であるらしい。騙されてはいけない。
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