加藤のメモ的日記
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粉砕した左手は筋肉がなくなり、竹の棒のようになり、指は痩せて硬直、死んだニワトリの足のようであった。「ピアノが命」の私にとっては、それは胸がつぶれるほどの苦しみであり悲しみであった。もう二度とショパンもリストも弾けないのか。
ミイラのような私の手を見て医者は「回復は無理」と言う。指を動かすということ遠い記憶でしかない。その手に「よみがえれ、よみがえれ」と祈りながら毎日温浴マッサージを続けた。
ある日、その指がピクピクと動いた。痛みをこらえて、一生懸命指を動かす練習を始めた。少しづつ、わずかずつ血が通い、神経が通い、指が動き始めた。ある日、思い切って握力計を握った。痛みをこらえて思い切り握った。すると何と、針はゼロ!苦しいリハビリを続けた。
一ヵ月後、握力は1キロ。この頃からベッドにキーボードを持ちおみ、指を動かす練習を始めた。30年前、5才の時と同じバイエルから。泣きたいくらいのたどたどしい指。握力は二か月で2キロ。3カ月で4キロ。それでもなんとかバイエルが終わりツェルニーに進んだ。
4カ月で8キロ。5カ月で16キロ。握力は徐々に回復、そして手の指の動きも徐々に回復に向かった。ピアノが弾ける可能性が出てきた。
骨シンチレーションという検査をすると大腿骨の骨頭壊死が確認された。これは骨動脈の切断により骨への栄養供給が不足し、骨が死んでいくことを意味する。このままなら半年か一年で私の脚は私の足でなくなる。医者は「人工骨頭か義足」と言う。
その足に「よみがえれよみがえれ」と祈り続けた。すると不思議なことに、この頃から骨シンチレーションの結果が徐々にではあるが快方に向かった。骨動脈が自然につながり始めたのだ!
大きく割れてボルト二本でつなぎとめられた骨盤もその頃から徐々につながり始めた。骨盤と大腿骨のかみ合わせも順調に回復してきた。自分の足で歩ける可能性が出てきた。同じ頃、損傷した首の骨、骨折した肩関、膝関節、断裂した骨も徐々に回復を始めた。この異例の回復ぶりに医者も看護婦さんもみんな驚いた。
『転生と地球』
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