加藤のメモ的日記
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私はこれからの日本が世界において存在感を示し続けるために、是非やっておかなければならないことが三つあると考えている。それは三つの「マインドコントロール」からの解放である。日本人がこのマインド・コントロールから脱することこそが、今の日本にとって何よりも緊要のことなのだ。日本人にかけられた第一のものはいわゆる東京裁判史観というマインド・コントロールである。東京裁判の正式名称はは極東国際軍事法廷という。国際法廷という名称から、あたかも国際法にのっとった裁判であるかのように思われているが、これはまったくの誤解である。
そもそも当時の世界では、負けた国の指導者を国際法廷で裁くと言う国際法も慣習もなかった。戦争犯罪という言葉はあったが、これは実際の戦場で戦時国際法を破った将兵を裁くためのもので、戦争を始めること自体が罪悪であるという考えは存在しなかったのである。それは当然のことで、自国の存続を賭けて戦争をするのは国家として当然の権利である。したがって戦争を始めた指導者をそのことで裁くなどということは考えられないことであった。
だが米ソをはじめとする連合国は、東京裁判を強行した。これは日本を犯罪国家と断定してその歴史から一切の栄光を奪い、合わせて日本人のプライドを徹底的に奪おうと考えたからに他ならない。つまり東京裁判とは裁判の形を借りた「見せしめショー」であったのである。その動機のもとには日本の復興を恐れる気もちがあったに違いない。だがこの東京裁判という名のショーで語られたことは戦後の日本では”常識”になってしまった。戦前の日本を侵略的な指導者の下に率いられた邪悪な国家であり、南京大虐殺のような非人道的なことも平然とやったといまだに思われているし、また学校で教えられている。
これでは日本という国に対する自身も、また自分の祖先に対する尊敬も生まれるべくもない。この東京裁判史観というマインドコントロールを脱しない限り日本は世界においてリーダーシップに参加することもあり得ない。自らの歴史に誇りを持てない民族は誰からも尊重されるはずがない。
東京裁判が過ちであったことは、その裁判を始めたマッカーサー自身ですら、後で気がついたことである。戦争直後、日本に進駐してきたころのマッカーサーが日本に対して抱いていたイメージは日本ほど悪い国家は地球上に存在せず、この国さえ存在しなければ極東は未来永劫平和であるというものであった。そこで日本人を二度と立ち上がれなくするために日本人を再教育し、日本人から気概を奪おうとしたのである。ことに彼はフィリピンで日本軍に敗北を喫して逃げ出したことがあるだけにその思いは強い。
ところがいざ日本に来てみると様子が違う。日本人ほど法と秩序を守り平和を好む国民はいない。日本占領に反対するゲリラが現れると覚悟していたが、そうした動きはまったくないのである。また実に勤勉で誠実である。これがあの悪の帝国であろうかとマッカーサーはいぶかしみ、徐々に日本に対するイメージを修正していったようである。そこで起こったのが朝鮮戦争である。1950年(昭和25年)スターリンと毛沢東に後押しされた北朝鮮軍が38度線を越えて南から攻め込んできた。
朝鮮戦争が起こる前、アメリカの外交戦略において朝鮮半島は守備範囲の外とされていた。つまりソ連や中国がどうしようと勝手にやるがいいというのがアメリカ政府のスタンスであった。だが実際に北の勢力が武力で侵入してくると、アメリカ政府も東京にいたマッカーサーもそんな悠長なことは言って入られなかった。日本を守ろうと思えばのうのうと座っていられない。共産勢力に朝鮮半島が奪われれば、それは匕首のように日本の安全保障を脅かすことになるのだ。アメリカ政府とマッカーサーは日本防衛のために北朝鮮と戦うことに決めた。
そこでアメリカ政府もマッカーサーもはたと気がついた。自分がこれからやろうとしていることはまさに明治以来の日本がやったことと同じではないかということにである。マッカーサーのそれまでのイメージでは日清・日露戦争は”侵略戦争”であった。日本は朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人々を奴隷のように収奪するために戦争をしたのだと考えていた。だがそれは間違っていたのだとマッカーサーは痛感した
。明治の指導者も、今の自分と同じように日本を守るために半島や大陸に出兵せざるを得なかったのだ。日清戦争は清国が条約を破って朝鮮半島に兵を送ったために起こった。また日露戦争は満州全部を手に入れたロシアが朝鮮半島にまで野心を抱いたからこそ起きたのではないか。もし自分が明治の日本に生きていらならば、当然同じように戦っただろうと。
『日本の生き筋』渡辺昇一
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