加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
アインシュタインが盗みの天才であり、数学・物理学における彼の業績はすべてポアンカレをはじめとする科学者たちの功績だった。彼の偉業と称えられる特殊相対性とE=mc2の論文などは、アインシュタインの先人たる研究者から盗んだものなのである。アインシュタインの功績として、最もよく知られているのは特殊相対性理論だろう。1905年、彼はその言葉をタイトルにした論文を発表した。この論文の要綱はその時点ですでに、ごく一部の人には知られていたのだ。
特殊相対性理論に貢献したのは、フランスの数学者ポアンカレである。彼は1900年には相対的な動きの原理を紹介し、1902年に発表した『科学と仮説』と言う著書には「相対性の法則」「相対性原理」という言葉がすでに書かれている。だがアインシュタインは、この事実を完全に黙殺している。
スイスのベルンの町を歩けば、アインシュタインがパテント事務所でサラリーマン時代を過ごしたというビルがあり、彼の当時の足跡を示すサインがあちこちに立っている。そして仕事が引けた後に、友人たちと物理学などそれぞれの関心事を論じ合い、時には深酒をした飲み屋も残っている。そうした席で、ポアンカレの理論についても煩雑に論じていたのだから、彼がこのフランスの科学者について知らなかったはずがない。
ポアンカレには哲学、数学、物理学に関する30冊の著作、500以上もの論文がある。アインシュタインが天才の名をほしいままにしている数々の偉業は、ほとんどポアンカレのものなのだ。それにもかかわらず、あたかも自分のものであるかのように先人の研究や業績を知らぬ顔をして盗用し「自分はポアンカレの論文は読んでいない」など白々しいウソを突き通したのである。
アインシュタインのものとされるE=mc2の式も、そのアイデアの原型を独自に考案した科学者が数人いたことがわかっている。この方程式は簡単に言えば、物質からエネルギーへ、エネルギーから物質へ変換できるということを表しているのだが、実は彼が生まれる1870年代には、プレストンという人がこの方程式に基づいて、原子力、原子爆弾、超伝導について計算している。
また、トルバー、ポアンカレ、デ・プレットといった科学者も、アインシュタインに先立って、この方程式についてそれぞれの視点で論じていたという事実もあるのだ。おそらく真の考案者の一人は、デ・プレットだろう。デ・プレットはイタリアの科学者で、その著作はイタリア語で書かれているが、アインシュタインはイタリア語も読むことができた。また1900年ごろには、その研究をさらに深めたという点で、ポアンカレの貢献も大きい。さらには、アインシュタインに対比されるニュートンの時代ですら、すでに知られていたという説もあるのだ。
しかも、アインシュタインはその応用に致命的な誤りを犯した。運動学と力学を混同したのである。ニュートリノなどという架空のものを想定する必要が生じたのは、そのためであった。有名な「光速は超えられない」という仮説も、あたかもアインシュタイン自身の発見であるかのように不調されているが、実はポアンカレのものである。「光速が最高」とか「スピードとともに質量が増大する」というポアンカレの考えは、そっくりそのままアインシュタインの著作に載っている。
これは引用というレベルでもなければ、偶然という一言で語れるものではない。このような「アインシュタイン理論」は、いまや科学からはほど遠い政治イデオロギーとして一種の踏み絵となり、アインシュタインを大天才として賞賛しないと非難される仕組みが出来上がったのである。
『この地球を支配する闇権力のパラダイム』中丸 薫
|