加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2009年04月27日(月) |
置き去りにされた被害者 |
夫の通夜で、菱沼美知子さん(54、埼玉県大宮市)は胃の激しい痛みに立っていられなくなった。棺に眠る遺体の顔の切り刻まれた跡が、目の前でどんどん大きくなり、そしてパッと光がなくなった。その夫の表情を忘れようとして、すでに三年がたとうとしている。
地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日朝。営団地下鉄職員だった夫、恒夫さん(当時51)は、霞ヶ関駅でサリンの袋を片付け、翌朝未明に亡くなった。早朝、病院の霊安室で会った夫は安らかに見えた。何時間でも見ていたい、と黙り込んでいた美知子さんの耳に「司法解剖に行きます」と男性の声が響いた。何のために。解剖はしてほしくないんです。このままではだめなんですか。そう言い張った記憶がある。
相手の返答には言い返せなかった。「亡くなった人、全部やるんだから」「裁判所の命令です」大学の法医学教室で正午過ぎから待ち始め、葬儀会社のワゴン車に乗って、棺ともに帰宅したのは午後11時だった。棺は顔を除く小窓以外がビニールのような透明な布で覆われ、ふたと棺の間はテープのようなもので閉じられていた。
自宅までの車中で、葬儀社員はささやいた。「早く走れません」「血が吹き出しちゃうんですよ」最後のお別れを。そう思い自宅で小窓を空けた夫の顔は、霊安室の顔とはまったく違っていた。左のこめかみからあごを通って右のこめかみに傷がある。目のくぼみの周りを囲むような傷跡もあった。ほおはパンパンに張っていた。
「切り刻まれたんだ、と思います。眼球も取り出して調べたのかもしれない。いったいどうしたのかわからないんです。身内にとってはたまらないです」解剖とは、いったい何をされることなのか。医師からも、警察からも、検察からも説明は一切ない。
………………
●二次被害
二年前の土曜日の午後、礼子(仮名)さん宅のチャイムが鳴った。玄関の向こうから、男性の大声が聞こえてきた。「弟がお宅のお嬢さんをいたずらした、○○ですが」地方都市の静かな住宅街。近所に聞こえる、夫も娘も、家でくつろいでいた。あわてて戸をあけると、男性はもう一度大声で言った。
「お嬢さんにいたずらをした……」玄関に入ると、男性は商品券の包みを差し出した。「私たちがこの三年間どんな思いをしてきたか、わかっているんですか」礼子さんは声を震わせた。夫も起こって商品券をつき返した。「ニコニコしていて、こんなことは早く済ませましょうよ、と言う感じに見えて傷つきました」と礼子さんは言う。
小学生の娘が公園で男から性的な被害を受けた。両親はすぐ警察に連絡した。三年後警察から電話があった。「子供にわいせつ行為をした男を逮捕した。娘さんにも顔を確認してもらいたい。マジックミラー越しに、娘が男を確認した。男の兄が礼子さん宅を訪れたのは、その三ヵ月後のことだ。
男は強制わいせつ罪で起訴されていた。弁護士の指示で兄が被害児宅をそれぞれ訪ねたらしい、と警察で聞いた。「被害者は、他の被害者の名前も住所も知らない。なぜ加害者には被害者の家がわかるのか」礼子さんは納得できなかった。いつまた来られるかわからない。不安に襲われた。同じ市内に住んでいた男は、執行猶予つきの有罪になった。礼子さんは法廷で娘の名前が読み上げられたことにも耐えられない思いが残った。
……………
作家の蔦森 樹さんは男として生まれたが、約10年前の27歳のときに女として暮らすことを選んだ。女性になりたてのころ、朝の満員で社で痴漢にあった。うしろの中年男性が、もぞもぞと動き出した。男性のころは「触られたら気持ちいいかも」と想像していた。
しかし、スカートの中に手を伸ばされたとき、そんな気持ちは吹っ飛んだ。金縛りにあったように、声も上げられなかった。「『やめて下さい』と言うのに、いかに勇気がいるか。男のときには『バカやロー』って殴ることもできたのに」自分の意思に反して、体を他人の思い通りに性的に扱われた体験は初めてだった。
「男でいるかぎり、そんな怖さもポルノにしてしまう。だから相手の痛みも想像できない」女性になってわかったのが「夜道の怖さ」だ、と言う。後ろから足音が聞こえたときの強烈な緊張。蔦森さんは提案する「もし、男性が『夜道の怖さ』を実感したいなら、治安の悪い国で、一人で護身用の武器も持たずに夜の町を歩いてみればいい。その時後ろから聞こえてくる足音にどう感じるか」
………… 「五分に一件の強姦事件が起きる」米国でABCテレビが1992年、「強姦犯の意識」と題する番組を放映した。バーモント州の共生センターの試みをルポしたものだ。性暴力犯の囚人たちは「家に男が侵入した」という通報の録音を聞く。「あなただれ、なぜ……」女性の声が引きつり、絶叫で途絶える。一人の囚人がうめく。「同じことをした」
女友達を強姦した男性は、自らの事件の被害者役を演じる。相手に威嚇され続けるうちに泣き出す。「怖かったんだ……」。
相手の苦痛を実感させる心理療法だ。「反省」は徹底的に疑い。訓練を集中して続けなければ性犯罪者の行動は変えられないと専門家は強調する。この番組のビデオを中心に、全米女性機構は94年、「性暴力の理解するための司法関係者教育プログラム」を作った。作成には司法省が補助金を出し、採用する州が広がっている。
『犯罪被害者』 河原 理子
|