加藤のメモ的日記
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2009年04月28日(火) スレプレニツア

■ボスニア紛争で生じてしまった未曾有の大虐殺の真相を追究する若き日本人

1995年7月、第二次世界大戦以来、ヨーロッパにおける最大の虐殺事件が起きた。ボスニアの東部に位置する「銀の町」スプレニツァ。ムラジッチ将軍率いるセルビア人共和国軍はこの町を陥落させると、約7000人のムスリム人を殺害したのである。世にいう「スプレニツァの大虐殺」である。国連のオランダ大隊本部のポトチャリに逃げ込んだ大量の避難民をセルビア軍は選別し、隔離し、拷問し、強姦し、銃殺した。

この未曾有の大虐殺はなぜ起きたのか。当の欧州でもしっかりと着手できていない問題に、日本の優れた若い学究が素晴らしい答えを出した。それが「スプレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察」(長 有紀枝著・東信堂、3900円)である。一読してまさに圧倒された。満遍なくさまざまな資料に当たり、客観的に検証し、そのうえで極めて説得力のある論考を導き出している。

欧米のメディアで流通しているスプレニツァに対する見方は、リチャード・ギアが主演した「ハンティング・パーティー」というアメリカ映画が象徴的だ。単眼的なセルビア悪玉論を大前提にしており、眼前にいた国連保護軍のオランダ軍は何もせず指をくわえて見ていたと弾劾するのである。実際に、事件後にオランダの内閣は総辞職に追い込まれるわけだが、当時の彼らが置かれた状況は大変に複雑なものであった。

国連では大国の足並みが揃わぬ中、紛争の渦中に放り込まれたUNPROFOR(国連保護軍)が遂行できるミッションは極めて限界のあるものだったのである。国連事務総長が2万人を超える兵力の増強を要求するも、安保理はその4分の1しか認めなかった。

そこに権限も武器も人員も与えられていないオランダ軍が投入されたのである。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が避難民をスプレニツァから他の地域に移動させようとしたことに対して、当のボスニア政府が反対したという事実もある。その理由は「民族浄化に加担する」というものであったが、現在では国際社会に向けた宣伝戦の中で、スプレニツァはあくまでも残虐なセルビア人勢力の犠牲者であると、見せつけるということも一つの目的であったとも言われている。

ボスニア紛争を著した書物の中には、共存していた民族間の憎悪がいかに高まったのか、その背景に触れることなく、過激なゴシップを売りにしたいのか、残虐な殺害方法や、猟奇的な事件の断片のみを抽出して書いているのも少なくない。本書はジェノサイドという概念の考察から始まり、冷静な事実の確認、犠牲者、行方不明者の数や構成の調査にいたるまで丁寧に記し、最も重要な複雑な背景をしっかり書くことで、事件の要因を複眼的に捉えている。

本来ならばジャーナリストがやらなければならない仕事である。できれば翻訳されて欧米諸国でも出版されないものかと切に願う。ふんだんに図版を使い、400ページに及ぶ長編を、3990円で出したという東信堂いう版元の意気にも敬意を表したい。バルカン半島に興味のある者には必読の書であるが、咲き誇るひまわりを装丁に持ってきた意図も素晴らしい。

著者の言葉「スプレニツァにひまわりは咲かないが、表紙カバーのひまわりのように、一人一人の犠牲者の方に、それぞれの物語とかけがえのない人生があった」が胸を打つ。



『リレー読書日記』木村元彦 


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