加藤のメモ的日記
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それにしても際立つのは、溝下秀男三代目会長という親分の出所進退の潔さであり、その決断力の凄みであろうか。「まったく今の政治家に溝下総裁の爪のアカでも煎じて飲ませてやりたいですわ。まあ、政治の世界に限らず、人間、一度権力の座に座ったらなかなかそれを手放そうととせず、いつまでもしがみついていようとするのが世の常で、往々にして引き際を間違えて、あとの者たちに争いのもとをつくったり、禍根を残したりするもんですよ。その点、溝下総裁の引き際の見事さ、決断力の見事さは賞賛に値しますよ。これはなかなかできるもんじゃない。なにしろ、溝下三代目という方は、脂がのりきって、まだまだこれからの親分ですからね」(組関係者)
この決断力を持ってしても、溝下総裁がいかにトップにふさわしい条件を持ち合わせていた親分であったかがうかがい知れよう。トップの条件はいくつか挙げられるが、ヤクザの場合、特に決断力というのは重要さからいってかなりの比重を占めるといわれる。
例えば記憶に新しいのは、三代目山口組田岡一雄組長亡きあと、山口組に四代目争いが勃発したとき、田岡未亡人が竹中正久若頭を四代目に押した理由として、次のように述べたことが思い出されよう「きちんと決断できて、自分でケジメがつけられる人ですから。あっちにしたらええやろうか、こっちにしたらええやろうかいいうような人やったら、そないしてる間に、騒ぎが大きくなってしまいますやろ」
これなど、後継者の条件の一つとして、というより大組織のトップの資格として、いかに決断力が重きをなすかを語って余りあろう。優柔不断なものは、まず跡目として失格なのである。事にあたってのトップの一瞬の判断が、組員の生死はもとより組織の存続さえ左右するものとなるのだから当然である。
この決断力に加え、トップの条件というのは実績、識見、手腕、人望ともどもに申し分なしといったことはもとより、次のような項目が挙げられるのではないだろうか。実行力、指導力、統率力、胆力、度量の大きさ、義理堅さ、人情の厚さ、冷静さ、才覚、先見性、カリスマ性、人間的魅力……などなどで、これらはほとんど、一般社会の大企業のトップの条件とも重なる。
「トップの条件といっても、やはり昔とはだいぶ変わってきているのは確かだね。今特に必要とされるのは資金力、政治力、外交手腕、情報収集力、先見性といったところじゃないかな、そして何よりも要求されるのは、金だね。金があるかどうか、経済力。これがなきゃ何も始まらない。昨今は、名門のトップでも金で潰されてその座を追われるケースだって多々あるんだよ。ともかくここ数年の間で、いつの間にかヤクザ界から消えていく上のほうの人間があとを絶たないけど、その理由のほとんどは、カネに絡んでいるといっても過言ではないんじゃないか」(事情通)
任侠精神の欠如ではなく、経済力のなさがトップ失格の理由というのではあまりにも寂しい話であろう。昔はそんなことはほとんど考えられなかったことではあるまいか。よく知られたことだが、昭和42年、43歳の若さで住吉一家五代目総長となった堀政夫総裁は、翌年、旧住吉連合会を中軸に老舗博徒組織を糾合して「住吉連合」を発足させ自身は代表となるのだが、おカネとはあまり縁がなかった。
そのころを知る関係者の話によれば、千葉県野田市の自宅は、雨漏りがするような借家で経済的にはかなり苦しかったという。そんな状況にあって、住吉の代をつぐことで経済的に潤うどころかさらに切迫し、家財道具や衣類を売って住吉の台をつぐことで経済的に潤うどころかさらに逼迫し、家財道具や衣類を打ってやりくりしたといわれる。そのため礼服も手元になく、ジャンパー姿で義理場に現れたこともあったと伝えられるほどだ。
時代が違う、といってしまえばそれまでだが、要するに当時は経済力以上に任侠精神の高さ、器量、人望、手腕といったことが明らかにトップの条件にランクされていたのだけは間違いない。ところがいまや上納金を払えなくて親分の座を追われてしまう時代である。逆に、本来ならその器量も人望もないのに、金にあかして跡目の座を狙うような者が出てきてもおかしくない。
「現実に跡目争いで勝利をおさめているのはやはり経済力のあるほう―というケースも見受けられるよ。豊富な資金力にものをいわせて多数派工作から先代の懐柔まで、強引にやってのけるわけだからな。けど、今はそうしたケースより、誰もなり手がなくて困っているというような話のほうをよく聞くけどね。金がないから上に上がりたくない、下手にトップになんかなったらカネで潰されてしまうっていうんだな。時代も変わったよ。親分になることがヤクザをやるものの一番の夢だったからな、昔は……」(前出の事情通)
バブルが生んだ悪しき拝金主義ともいえるが、やくざ界自体があまりに金のかかるシステムになっていることも、その一因に挙げられるのではないだろうか。「義理の数は、むしろ昔より少なくなっているんだが、ともかく上になると、出て行くカネが半端じゃない。マスコミがいう上納金なんていうものはないんだ。会費はあるよ。それにしたって、よそは知らんがうちはそんなバカ高いもんじゃない。けど、まあ、金はいくらあっても足らんね」
「世の中不況で、カネは入ってこないのに上納金やら義理やらでパンク寸前。おまけに使用者責任とやらで、自分が関係ない事件でも子分がやったことの責任をとらされる。親分をやていいことは何もないね。本当に受難の時代だよ」
『現代ヤクザ録』 山平重樹
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