加藤のメモ的日記
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宮城刑務所の処刑の部屋は二つに分かれている。右側が立会い室。俗にいう教誨室(受刑者に教え諭す)で壁には仏壇がはめ込まれ、真ん中にイスとテーブル。隣室との仕切りの壁沿いには長いすが並んでいる。末期の酒を飲み、タバコを吸い、この世と別れを告げる部屋である。
左側が処刑室。つまり刑場である。立会い室から仕切りの壁の戸をあけて入ると、3メートル四方ほどの中二階状になった処刑台が目に映る。台に上がる階段は、13段ならぬ4段で、台の上には丸いイスが一脚ぽつんと置かれている。よく見ると、処刑台の中央に1メートルほどの切れ目が見える。外からの操作で、床下の半地下室に向かって、その切れ目が観音開きに開く仕組みになっているのだ。
天井には滑車が仕掛けられ、不気味に垂れ下がっている。ロープの先にはワイヤーに皮を巻いた首輪がつながっている。立会い室と処刑室との仕切りの壁には、視察口と称する横に細長い窓があり、立会い室にいる者がその窓から首を吊られ、ぶら下げられ、あえぎ、もだえ、うめく受刑者の胸元あたりだけが見えるようになっている。その苦痛に歪む形相や、もがき苦しんでバタつかせる足などは見えないように配慮されている。
死刑囚にとっては、この四階段を上がり、処刑台の床がバタンと開かれ、床に向かって落ち、首を吊られたときに初めて刑を受け罪を償ったことになる。つまりそれまでは死刑が確定した未決囚であり、死のお迎えが来たときに初めて刑を執行されるわけだ。
悟りきった死刑囚ばかりではない。最後の最後まで無実を叫ぶ者、死ぬのはいやだ、助けてくれ!と泣き叫ぶもの、あるいは恐怖のあまり泣きわめき、舎房の鉄格子にすがりつき、房内の机やイスを壊して凶器にし、暴れまわる者もいる。まさに死に物狂いである。看守などでは手がつけられない。ついには特別警備隊が出動し、滅多打ちにしてガス銃をぶっ放し、意識朦朧の仮死状態のまま連行し、強引に首輪をかけて処刑したこともある。
死刑執行時刻はおおむね午前十時からだ。午前九時ごろになると、新館一舎の死刑囚棟から刑場まで、完全武装の特警が4〜5メートルごとに非常配置される。そして普段は「開かずの間」の「三途の川」と称される地下道の扉が開けられる。この地下道は20メートルほどのトンネルだ。死刑執行のとき死刑囚はこのトンネルの地下道を通っていく。
午前十時前、死刑囚棟の鉄扉がギーとでも開かれでもしようものなら、死刑囚棟は、各房の扉越しに心臓の音が聞こえてくるほど、シーンと不気味に静まりかえる。咳音ひとつなく、息をひそめた死刑囚たちの呼吸音さえ聞こえてきそうだ。ある者は正座し、両手を合わせて神仏に祈り、ある者は体を震わせ、心臓が破れんほどに鼓動を高鳴らせ、必死に死の恐怖におののいている姿が、痛いほどわかる。
鉄扉を開けたお迎え官や特警の靴音が自分の房の前を行き過ぎれば「助かった」とほっとして、全身から力が抜け、ぐったりとした次の瞬間、「今日一日は生きられる」と、満面に狂喜の色が沸いてくる。だが特警の靴音が、とある監房の前で止まり扉を開けようものなら、そこにはほとんどの場合、腰を抜かして立てなくなり、瞳はうつろでよだれさえ垂らし、時には小便を漏らしたり脱糞までしている死刑囚を見る。
それを特警が後手錠をかけ、両脇から吊り上げ引きずるようにして、三途の川のトンネルをくぐり、雑木林の中の処刑場へと連行していく。連行されて行った後には、垂れ流された糞尿が、点々と続いていることもある。
死刑囚は遺書を綴った後、別れの杯とタバコが許される。お供えの饅頭や果物も出される。かっては俺も、若気の過ちからとはいえ、人を殺めて死刑を求刑され、東京巣鴨拘置所の死刑囚官房に拘禁され、東条英機らかって戦犯と同じ舎房に幽閉されていた。
俺も日々処刑の恐怖におののき、罪の意識に怯え、良心の呵責にさいまなれ、生死の境をさまよっていたが、悪運が強いのか、この世にまだ縁があったのか、かろうじて刑一等を減じ無期懲役囚として生きることを許された。そして東北地方唯一の処刑監獄、泣く子も黙る宮城刑務所のそのまた忌み嫌われる死刑囚官房の掃夫(世話係)としてかっての同輩ら死刑囚たちの世話をやくことになったのだ。
……………
処刑するときは後手錠をかけ、首筋まで届く長い白布で顔を覆う。死刑囚に目隠しをすると同時に首を吊られた瞬間、頚動脈が切断されて吹き出す血が、口からほとばしるのを防ぐ役目を果たす。受刑者を処刑台の粗末な木製のイスに座らせるときには、執行官があれこれと話しかけつつ、受刑者の気をそらしながら、ロープが受刑者の肌に触れないよう、気をつけて首にかける。
首輪をかけ終わるや否や、執行官は処刑台を離れ、そっぽを向いて手で合図を送る。処刑室の外では合図を確認すると三人の役人が、三つのスイッチをそれぞれ押す。そのうちの一つに本当の引き金が入っているのだが、お互い、俺のには入っていないと思うことによって、少しでも気を楽にさせるための配慮であろう。
三つのスイッチが押されると同時に、処刑台の床がバタンと二つに割れ、死刑囚はガクンと首を吊られる。「うーっ、うーっ」と、地の底から絞り出すようなうめき声が響き、ギーギーと滑車がきしむ。うーっうーっ、ギーギー。この声、この音が、いつまでたっても耳にこびり付き、悪夢にうなされ「やめてくれー、やめてくれー」とこっちまで気が狂いそうになる。
それでも今はまだましだ。かっての刑場は犬小屋みたいな二間間口の御堂で、死刑囚が吊るされ、あがき、悶えるつど、御堂ごときしみ、揺れ、外から見ていても「ああ、今吊るされている、処刑されているな」と、はっきりわかり、とても生きた心地がしたもんじゃなかったという。
現在は、白亜の立派な鉄骨作りだが、死刑囚を処刑する刑場であることは間違いない。処刑台の床が二つに割れ、かっきり五分経つと教誨師の坊主が「ナムアムダブツ」のお題目を、人一倍高らかに唱え、法務技官の医師が、白衣をかぶせた盆を手に半地下に降りていく。
地下に降りた医師は、まだ揺れている受刑者の足をつかんで、太くて大きな注射器を突き刺し、血管に空気を注入するらしい。巷で言われるような、首を吊られても五分間生き続ければ、罪は償ったことになり、自由放免されるってことなどあり得ない。空気や薬を注入して、否応なしに死刑にしてしまうのである。
…………
俺は、これら死刑囚たちの世話をやくという予想だにつかなかった人生を強いられた。死刑囚監房掃除夫として、死刑囚の世話のみならず、処刑された後の屍の後の始末をしてきた。死刑囚が末期の水を飲み、タバコを吹かして逝ったというのはほとんどなく、立会役人が気を利かせて口元に杯を持っていき、酒を含ませ、火をつけたタバコを口に差し込んでやるのが普通だ。ましてや仏壇備え付けの饅頭、菓子などに、三個も食べられればよいほうで、ほとんどが、手付かずのまま逝ってしまう。
それらを、俺たち掃除夫が役得として頂く。いかに馬飯・小便汁の一膳飯で腹が減り飢えているとはいえ、脱糞の悪臭が漂う中で処刑され、目をむき、舌が垂れた死体の傍らで平気で饅頭をパクつき、果物を食うんだから怖い。まさに地獄絵さながらだが、その一人が俺なんだから、我ながら自分自身が恐ろしくなる。
『そして、死刑は執行された』合田士郎
数年前、イラクのフセイン大統領の死刑執行の様子をインターネットで見たことがある。フセインは両側から黒い布で覆面をしたデカイ男二人にがっちり捉えられ、首にロープをかけられた。フセインは最後まで何かを叫んでいた。画面が消えて次に映ったのは、フセインがコンクリートの床に倒れている映像だった。昼寝でもしているかのような、普通の顔だった。
この寝ているかのような映像は明らかにウソである。死刑の後の人間の顔は目や舌が飛び出し、とくに舌はこんなに長いものかと思うぐらい伸びきっているらしい。よだれ、鼻水など全部出るという。筋肉が弛緩しておさめていたものが全部出るということだ。
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