加藤のメモ的日記
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2009年01月31日(土) アメリカ人の進化論

アメリカの保守的キリスト教徒はなぜ「進化論」を嫌うのか。

「原理主義」と聞くと、すぐイスラム過激派が頭に浮かぶかもしれませんが、原理主義(ファンダメンタリズム)という言葉を最初に世界に登場させたのは、アメリカのキリスト教徒(プロテスタント)だった。アメリカの保守的プロテスタントの中には、ダーウィンの進化論を公教育の場で教えるべきではない、と主張する人達がいる。人間は神が創ったという聖書の教えに反するから、というわけである。

こうした主張の論拠になっているのが聖書の無謬性、つまり、聖書に書いてあることは一字一句まで、その通りの事実であり、人間がいろいろに解釈すべきではない、という考え方である。原理主義者たちは、世俗の論理や価値観をい汚れたものとして敵対視し、自分たちの信仰の純粋さを貫こうとする。汚れた世俗の代表として敵対視の対象になったのが、ダーウィンの進化論であり、フロイトの精神分析であり、共産主義、妊娠中絶、最近ではフェミニズムや同性愛などである。

イスラムやカトリックも異教として悪魔扱いされ、時には政治そのものが汚れたものとして嫌われたりもした。こうして世俗の価値観と対立し、宗教の原点に立ち返れと叫ぶ運動全般が原理主義と呼ばれるものである。アメリカといえば、合理主義の国、自由な言論の国、人種や文化の多様さに寛容な国、というイメージで見てしまうが、実は国民の半数近くが、こうした原理主義で保守的な人たちで占められている、という事実も知っておく必要がある。

なぜアメリカで、それもプロテスタントの間で原理主義が芽を出したのか、それはアメリカの建国の事情にある。アメリカは移民によって作られた国である。その最初の一歩を踏み出したのは、「理想の神の国」の建設を目指したイギリスのピューリタン(清教徒)たちだった。ピューリタンとは、当時のイギリス国教会(カトリックから分離)を堕落した存在と見て立ち上がったプロテスタントの一派であった。「聖書に返れ」をより純粋に突き詰めようとした人たちだった。

しかし、実際にアメリカの独立にあたって、憲法を起草したジェファーソンや初代大統領のワシントンなどは、リベラルな思想を持つ啓蒙主義者であった。以後のアメリカは政教分離の原則のもとに民主主義の政治を推し進めた。政教一致を目指したピューリタンたちの理想は、原理主義の萌芽を宿したまま、自由の国アメリカの底流でくすぶり続けることになるのである。



『世界の宗教101の謎』


加藤  |MAIL