加藤のメモ的日記
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プロテスタントの拡大に対抗して、カトリックの内部にも「宗教改革」の動きが起こった。その頂点とされるのが1545年から3回開催された「トリエント公」会議である。この会議で、カトリックの教会の聖書解釈のみが唯一絶対であると宣言され、その教義に離反した人物や集団をすべて異端として迫害・弾圧する宗教裁判がヨーロッパ各地で開催された。
宗教裁判(異端審問)はすでに13世紀から行われていたが、トリエント以降はこれが激化し、とりわけ悲惨を極めたのが「魔女狩り」だった。一神教であるキリスト教は、もともと悪魔や悪霊に対する敵対意識が強く、そこの教会が「呪術」を行う女(魔女)は生かしておいてはならない」(出エジプト記)という旧約聖書の一節を利用してキャンペーンを張ったため、魔女狩りはヨーロッパ全土を巻き込んだ。
虐殺された魔女は、その数200万人から数千万人ともされ、魔女であると告発されれば必ず処刑され、密告・謀略も横行し、罪のない者までもが犠牲にされた。
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