加藤のメモ的日記
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2009年01月23日(金) 世界の宗教(1)

現在、世界宗教といわれているのはキリスト教で、カトリック、プロテスタント、東方正教会で合計20億人。イスラム教12億人、仏教4億人の三大宗教である。合計約36億人。この三宗教だけで全世界の人口66億人の半分以上を占めている。ただし、信者数だけからいうと、インドの人口10億人の約8割強が信仰するヒンドゥー教が8億人、儒教、道教などをベースとした中国民間宗教が4億人で、仏教よりも大きな集団ということになる。

民族宗教というのは、主に民族の生成やその救済に関わる教えを核とした宗教で、通常、一民族内でのみ信仰されているものをいう。代表的な例がイスラエル民族と唯一神との契約という形をとって語られるユダヤ教(信者1400万人)で日本の神道もこれにあたる。

宗教の原型ともいえる原始的な信仰の存在は、人間の歴史と共に古く、すでに旧石器時代から人間は死者を埋葬したり、何らかの呪術を行ったことが、その時代の遺跡から確認されている。ラスコーの動物壁画(約1万年前)に描かれたさまざまな動物の姿も、なんらかの祭祀と関係していたのではないかと言われている。

こうした原始時代の宗教的態度の中には、すでに人間が「死」や「死後の世界」、また人間に死をもたらす自然の力に対して畏怖の念を持っていたことが示されている。その畏怖はやがてさまざまな神々を生み出していくことになる。ここでいう「神」とは「GOD」の訳として使われる「神」とはまったく性質の異なった「スピリット=精霊」と呼ぶべき存在である。今の「森の精」「湖の精」というその「精霊」である。

未開時代の人々は、太陽や月などの天体、風や風などの自然現象、動物や植物といった生き物、それに人間(死者・生者)を含めたあらゆる自然界の存在に、スピリットが宿っていると考えていた。当時の人々は、こうした精霊たちを畏怖するばかりでなく、それらと交流する能力を備えていた。そのために特殊な植物がもたらす幻覚作用(トランス状態)を利用する場合もあれば、ひたすら瞑想することによって心のチャンネルを開く場合もあった。

これらの宗教的行為や態度は「アニミズヌ」と呼ばれ、南アフリカ大陸やオセアニアの先住民の中に名、今もこうした宗教生活を続けている人たちがいる。

●一神教の」の神はどうして生まれたか?
世界で始めて農耕が始まったのは、エジプトのナイル河からメソポタミア(現在のイラク)のチグリス・ユーフラテス河にかけての肥沃な三角地帯と呼ばれる一帯である。世界で最初に一神教を生み出したのもこの地域である。

ただ取ってきて食べればよかった狩猟・採集の生活はまさに旧約聖書の創世記に描かれたエデンの園のような世界であっただろうと思われる。しかし創世記によれば、人は禁断の知恵の実を食べてしまったために楽園を追われ、以後、額に汗して働いて食べ物を得なくてはならなくなった。

農耕はその「額に汗して」にふさわしい重労働である。「創世記」の記述は人間が狩猟・採集の楽園生活から重労働によって日々の糧を得なければならない農耕生活えと移行したことを、神話的に語っているのではないかとも解釈できるのである。

いずれにしても、農耕と牧畜の開始は、それにふさわしい土地に多くの人間を集めることになり、収穫した穀物を貯蔵しておく施設やそれを守るための武力も必要となり、各地に大きな都市が生まれ、やがてはそれが国家へと発展していくことになった。

こうなると、各部族が霊感に頼ってそれぞれの精霊=スピリットを信仰していたのではまとまりがつかない、より強大で普遍的な神という存在が、心理的にも政治的にも必要になってくる。ここから一神教の成立へと向かうプロセスが始まるのだが、そのプロセスは人間の意識の進化という過程と社会的なシステムという二面がある。

●世界初の一神教
古代エジプト人の社会も、もともとは地域の集団ごとにそれぞれの神を信奉する多神教の社会だった。しかし、王国が成立すると、それらの神々の間に序列が作られ、紀元前2000年ごろには、首都テーベの守護神アメンが最高神として祀られるようになった。

さらに紀元前1370年ごろに即位したアメン・ホテップ4世の時代になると、太陽神ラーを唯一絶対の神として、他の神々への信仰を禁じてしまう。これが世界初の一神教である。しかし、同王の死後、エジプトは再び多神教の世界に戻ってしまう。エジプトでは失敗に終わったが、この過程を徹底して推し進め、世界に比類ない一神教の世界を築き上げたのが古代イスラエル王国で、この一神教こそ、後のキリスト教、イスラム教へとつながっていくユダヤ教である。



『世界の宗教・101の謎』21世紀思想研究会


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