加藤のメモ的日記
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2009年01月21日(水) 悲劇の歴史

リンカーン大統領による1863年1月1日の「奴隷解放宣言」で400万人の黒人奴隷は解放された。しかしそれは名目上の自由を得ただけで、実質的な人種差別は、現在まで続いているのである。1996年夏、今世紀最後のオリンピックが米国アトランタで開催された。アトランタは南部奴隷市場中心の街、「風と共に去りぬ」の舞台、キング牧師の出身地で人口の過半数が黒人という「黒人都市」である。

開会式の聖火ランナー(モハメド・アリ)も、聖歌歌手も黒人。100メートルなど、短距離走の決勝のスタートラインに立った選手は、すべて黒人だった。かって米国はアフリカから家畜として奴隷を買ってきて、南部の農園を開拓させ、それによって栄えた。

より力持ち、足の速いものを選んで連れてきて、弱い奴隷は破棄し、結婚もさせなかった。より強い奴隷を作るために、強い奴隷同士を掛け合わせるといったような、まるで家畜を品種改良するような手段を使った。黒人はもともと身体能力が高い上に、こうした「改良」によって、より強く速い者たちが生まれるのは当然であった。オリンピックにおける黒人の好成績は、こうした悲しい歴史を繁栄したものだともいえる。

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なぜ人間が人間を奴隷とする思想が生まれたのか

奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、他人の支配の下にもろもろの労務に服役し、かつ売買・譲渡の目的とされる人のことである。日本には古代から奴隷という言葉も奴隷制度などの風習もまったくなかった。世界唯一の平和な国であった。日本では同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことは、とても考えられなかったのである。

日本にも古代、奴婢という言葉があった。これは律令制の賎民の一種で、最下位の召使の男女のことだが、彼らとて、どこまでも人間であって、家畜ではなかった。西欧の白人たちが、人間を奴隷に落としてなぜ罪の意識を感じなかったのだろうか。それは旧約聖書に都合のよい解釈があったからだ。

創物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を創られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食してもよい。奴隷は家畜と同格だから、人間のためすべてを捧げるのは当然といった具合である。

狩猟、牧畜、遊牧の民といった、動物を殺し食することを生業とする民族に都合よく考えられたのが、キリスト教である。これに対して、日本のようなモンスーン地帯の農耕民族の民は、植物を食の対象として暮らし、仏教の殺生禁断を旨とし、生き物を殺すことにも、哀れみと罪を感じて暮らしてきた。

ましてや、人間仲間を家畜としてこき使う思想は育たなかった。キリスト教の神の教理による奴隷制度の正当化の下、南北アメリカ大陸や、アフリカ大陸で白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺戮の悲劇の時代が始まるのである。




『侵略の世界史』清水けい八郎


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