つれづれ日記
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2011年08月07日(日) ワカメとブラビーに給餌。日系アメリカ人の話。

夏休みには日曜日の息子の体操教室が休みなので今日はガイドヘルパーさんと新横浜のラポールへボウリングに行った。その間、録画を見てノンビリ。
しかし、彼が出かける時にはエアコンの設定温度が27度だったのに私が途中で消したり30度にしたりしていて彼が予定より早く帰ってきた時には28度になっていた。それを見て顔色を変える息子。だが、何とか言いくるめて事なきを得た。毎日こんな様子です、ハイ。

昨日、第2次大戦中の日系アメリカ人2世軍人たちを取材したドキュメンタリーを見た。日系人部隊といえば、ヨーロッパ戦線でアメリカ史上最強と言われた442部隊が有名だが、彼らの苦悩は昨秋TBSが放映した橋田寿賀子原作のドラマ「99年の愛」に詳しい。

同じような状況で強制収容所から米軍に志願し、対日情報収集に従事させられた日系2世の一群がいた。彼らもまた歴史の波に翻弄されながらも実に真面目に任務を全うしGHQの対日占領政策の裏方を担った。

今日見たのは「星条旗の下のヒバクシャ」というタイトル。俳優の渡辺謙が在米の原爆被爆者たちを訪ねてインタビューするというもの。「99年の愛」の一世たちも広島からの移民だったが、多くの広島移民たちが大戦開始とともに帰国した。だが、2世たちは帰国時子どもだったにもかかわらず日本になじめなかったのか、被爆してからも日本での生活に行き詰まりを感じてか戦後アメリカへ渡る(生まれた土地へ帰る)若者が多くいた。

被爆の後遺症で体調不良を抱えながら苦労を重ねるヒバクシャたち。在米ヒバクシャたちで会を結成しアメリカ政府から医療的援護を受けられるよう日本総領事館に相談するも足をテーブルに乗せふんぞり返る職員に「反米的行為は慎むように」とあしざまに言われ門前払いをくらう。
その後は10年以上に亘って議会に働きかけるも結実せず。
その後に日本政府に働きかけて2年に一度厚生労働省から医師が派遣されてくるようになったのは大きな成果だった。リーダーとなった女性は今尚かくしゃくとしてなかなか知的。そこで思い出したことがある。

10年くらい前に「戦争花嫁」としてアメリカに渡りその後辛酸を舐めて老境に至った女性たちを取材したドキュメンタリーを見た。彼女らは過酷な人生を歩んできて今も決して裕福とはいえない生活を送っている。それにも拘らず裕福な日本の同年輩の女性に比べて遥かに若々しいのだ。
その時にしみじみ思った。日本では特に女性の場合、加齢に対してとてもマイナス評価をする。裕福だろうが社会的地位があろうが年配女性は総じて冷遇される。アメリカ社会ではこんな露骨な年齢差別はされないのだろう。年を取るというだけで冷遇される心配はなく心理的ストレスがない分、日本の老女性より遥かに若くいられるのだろう。

そして今回も、男女とも80歳前後なのだが日系ヒバクシャの皆さんが病を抱えつつも同年輩の日本人男女より遥かに若々しくはつらつとしているのに感じ入った。アメリカは問題だらけ、人種差別だらけと言われながらも、少なくともあの人たちが毅然と暮らしていける社会であるということだ。

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今日も6時5分くらいに山手到着。
ワカメは正門を出たところの歩道にベタッと横座りし正門側を向いていた。ブラビーも近くにいた。正門は大きく左右に開き構内は車でいっぱいだった。バスが入ってくるらしい。

今日もワカメはまあまあよく食べたがブラビーは少しの音でもビクビクしてゆっくり食べられないようだった。

U野さんが休憩にやって来たので少しお喋り。野球部の合宿が新潟であり、そのバスが帰ってくるそうだ。それに空手部の集まりもあるそうだ。U野さんはキャプテンのTネちゃんのこともよく知っていた。野球部の部員にも人気があるし。

ブラビーが食べるようにトレイに残った餌を入れてなるべく雨などがかからない場所に置いた。ブラビーをそこへ連れて行こうとしたがヒョコヒョコ逃げてつかまらない。「東側猫庭園」の縁石の上、植え込みの陰だが匂いで見つけるだろう。


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