つれづれ日記
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2002年07月09日(火) もう丸々1週間

日も暮れた午後7時40分頃、キャリーを持って6号棟へ行き、みちよ家前、餌場への階段、餌場をチェックする。みちよ家階段下にキャリーを置いていったん戻る。

8時半になってみちよさんがやって来た。「プリンス猫階段」にも行って来たそうだ。コロちゃんがいたが固定の餌やりさんがいるので餌はあげなかったとのこと。
玄関内、上がりがまちに座り込んで話していると、我が家のシルビア、ミーシャ、トムが代わる代わるやって来てみちよさんに甘える。

9時になり再びノワール・チェックに出かける。「プリンス猫階段」へ行くとコロちゃんさえもいない。お水はたっぷり入っておりきれいだ。すると7号棟の方から「新黒」が現れた。いつもは逆の方から現れるのに。森からやって来たのか?

そして昨日にも増してシャーシャー吹いている。ライトを当ててよく見ると、目は大きく見開いているが目やにがひどい。目薬は差せないので犬山動物病院の院長に相談してみよう。持参した缶詰フードをあげる。

「グフッ!」なんて音がするのでまたライトを当ててみると、いつもは食べるのがすごく遅いのに今日はガツガツ食べたせいで咽んでしまったようだ。特別おいしかったか、或いは我々がいるので焦ってたくさんほお張り過ぎたのか?それだと可哀相なので、慌てて立ち去ることにする。「関心持つなよ!ファーシャー!」と盛んに吹く今日の「新黒」の態度はまるでノワールが乗り移ったかのようだった。

6号棟に戻り、階段に座って今夜も少し待機する。もうかなり諦めがついてきたが思い出になるにはまだまだだ。

そもそもの馴れ初めを思い起こす。「プリンス猫階段」を通ることも殆どなく野良猫に毎日餌やりをするようなきっかけはまるでなかった。ほぼ4年前、見知らぬ他人だった初代餌やり人K沼さんに、通りすがりのみちよさんがノワールへの給餌を無理やりに押し付けられた形だった。そのうちK沼さんはすっかり引いてしまい、やがてみちよさんひとりでは毎日欠かさず給餌することが困難になってきた。が、みちよさんの友人たちは誰も餌やりを引き受けようとはしなかった。

そこでみちよさんとは殆ど疎遠になりかかっていた私にお鉢が回ってきた。エーッ?!という感じだったが、その猫の余りのみすぼらしさに否も応もなく引き受けてしまった。が、K沼さんの「あの猫は餌さえもらえれば野良でいることが幸せなんですッ!」という自信に満ちた断言も我々を呪縛した。野良猫たちの不幸が相次いだ時期でもあったことから、引き取れもしないのだから中途半端に懐かせないようにしようと話し合っていた。

それに他家の軒下でコソコソ餌やりをしているのだ。隠れるようにして餌容器だけ置いてくる毎日だった。懐きもしなかった。それでも年月と共に可愛く不憫に思う気持ちが増してきてはいた。が、それもこちらの一方的な片思いだと思い込んでいた。それは、はっきり間違いだったと今にして思い知る。前日までは触る事も出来なかったのに、最後の日に見せた愛くるしい態度は何だったんだ?!とみちよさんと2人、まだ呆然としている。

「誇り高き野良猫」とか「野良猫の矜持」とか、エッセイストなどがそれらしい文章をよく書いている。野良猫についてそれほど関心もなくよく知らなかった私も、そんな文章に影響されていたようだ。

が、そうではないとはっきり思い知らせてくれたのが「山手猫」たちだった。彼等は餌さえ貰えればそれでいいのではない、愛情が欲しい、撫でて欲しい、遊んで欲しいとはっきり要求する。そして警戒心いっぱいだった新参猫もすぐに同じようなゴロニャン猫に変身する。野良猫として生まれたとしても家猫はイリオモテヤマネコではないのだ。人間に頼り暖かい愛情を必要とする、人間との共生動物なのだ。コンパニオン・アニマルなのだ。

そういう猫たちを野生の熊や狸などと混同して「餌をやるから増えるのだ」とか非難するのは全く間違っている。野生動物にしても人間が住処と餌を奪っておいて危険になったから「駆除」するなどとは人間の驕りも甚だしい。

7号棟の駐車場下の「猫の森」も近年建売住宅が3軒建ち、面積がグッと狭まった。


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