++るうの独り言++
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2004年06月06日(日) |
ネットだけのせいでもあるまい |
ハンドルネームつかって 親が関与できにくい世界へいって
・・・学校に来るパソコン講師の中には、『自由に好きなように。大人よりキミたちの方が能力があるんだから』とか詐欺師まがいの言葉で子どもをおだてあげ、反大人、反社会をこそっと教え、ネットの世界へのいいとこだけ見せてその世界に送り込んで、私の仕事期間はこれでおしまいです、あとのことはしりません、はいさよなら〜、という奴がいるそうだが、今回の事件、そういう連中にも大いに責任がある、と思ってる。 そういうやつを派遣せざるをえなくなった環境にも嫌悪する。
...ちゃんと大学で、教員養成課程にIT教育という科目をくみこめっ!!
だからそこでトラブルにあったとき 前にも書いたけど、言葉だけの世界って、本能や潜在意識の世界だから、ものすごくどろどろしてて激しくて生々しいんだが、 そういう中で自分を守ったり戦ったりするには余りにも幼いのに、 守る親や大人が関与できなくなってるから、 そんな世界で自由に遊ばせるというのが、いかに危険なことかわかりそうなもんだ。
それが原因の一つ。
それともう一つ。 これは某所では『ツレション現象』とか呼ばれるもの(笑) 90%の女性が小中高時代に、仲良しのお友達と休み時間に誘いあってトイレにいった経験をおもちだろう。 今大人になって考えると 「トイレにいかない?」とは一緒の人に言わないことに気付いた。 「私、ちょっとトイレにいってくる」である。
仲良しになると、いつでもいっしょ、なのだ。 学校でも一緒 帰ってからも一緒 塾も一緒 部活も一緒 見るテレビも一緒 好きなタレントも一緒
それで安心するのだろう。
意見が食い違うととたんに険悪なムードになる。 (西城秀樹より野口五郎がいいといって絶交した二人を知っている) お互いはお互いを認めあうというか、ほとんど同化しているのだ
そういう心理になる時期がある。 そうしながら、じょじょに違いを認識し、傷付いたり傷つけたりそんなことをくりかえしながら、 今度は「違い」を楽しむようになっていく。
これがうまくできないと 悲惨ないじめ、差別、相手の存在の排除・・・
そうでなくても人間同士の生のふれあいがすくない昨今の子どもたち。 同化してたはずの、いわばもう一人の自分から、自分を否定されたような気がしたんだろうな。
・・・・ ねえ。もっと見ようよ、せめて自分の子どもたちをさ。 母として社会人として人間として、とかなんとかかっこいい姿したいのはわかるけどさ、 ぼろぼろに母親だけやってたっていいじゃない。 それが「かっこわるい」とかいうやつにはいわしとけばいい。 大抵そういうこというやつは、さっきのパソコン講師みたいな連中なんだからさ。
他のことに気をまわしてる場合じゃないなあ、とほんとに思うんだ、この頃。
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