++るうの独り言++
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2002年05月29日(水) 無力

今まで私の仕事は、、、。

顔に水がつくだけで泣いちゃった子がわずか2週間で25m泳げるようになる。
来日してわずか半年の短時間で、日本語検定1級をとって日本企業に就職していった外国の人たち。

子供の成長、知的能力の向上、精神面の成長、ひとつのことをし遂げる喜び。

小さくとも日々成長のその過程に携わり、協力し、助け、本人とともに喜びを味わう、という仕事だった。

母親という仕事もそんなに変わりはない。
あんなちびっちょかった子供が、今ではまー、たくましくなっちゃって、と
目を細めたりなんかする。

んが。
今の仕事は
今までのように「先の喜び」が見えない。

いっつもここが私の戸惑うところなのだ。
介護者が悩み精神的に参ってしまう原因もここにある。

どんなに小さくても「成長」は励みになる。
「今たいへんでもいずれは・・・」
「もうちょっとがんばれば、そのうちに・・・」

お互い努力すれば目的に行き着くことができる、という希望は
とても大事なのだ。

が、悲しいが今の仕事にはそれは望めない。先は見えない。
しかもそれを望むのはこの仕事ではない。

しかし、成長や向上が無いというのは
希望や夢が持ちにくいということでもあり、
それを1番身にしみて感じているのは当然本人。
それでもまだ元気ならいい。
しかし、元気ではないから我々がかかわるのだ。

人の世話になるのがはずかしい申し訳ない、と思ってしまう年代。
激動の日本の歴史を死にものぐるいでいきぬいてきた年代

だから晩年はもっとゆっくり安らかにすごしたっていいじゃないか、と私なんぞは思うのに、
運命はまだ「闘病」という試練を課す。

「一生懸命働いてきたのに、なんでこんな体になるんだろう。なんの罰なんだろう」となげくお年寄りがいらっしゃった。
「これ以上生きてたってねー」とか
「死んでしまいたい」とか
そんな言葉もついこぼれてしまう。

これを聞いてしまったとき、私みたいな世間知らずの若造は、どうしていいのか、せつなくておろおろするばかりなのだ。

私が私の祖母や祖父にしたように
手を握ったり
後ろから肩をだいたりして
「だめ。そんな悲しいこといわないでください」
ってそれしかできない。

今だけでいいじゃない? 先のことは考えなくても。
今を十分に楽しんでほしい。

で、思ったんだ。
この仕事で私の役割は、元気と笑顔をそのお宅に置いてくること、って。
わたしにつられて、利用者さんがなんか元気になれば
わたしにつられて、利用者さんがなんか笑っちゃえば
ちょっと気持ちが前向きにならないかな、ってね。

あーーーー。あまりにも何もできなくて
(技術的なことではなく気持ちの充足ということ)
ため息でちまうぜ。




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