++るうの独り言++
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2001年12月20日(木) 年末宝くじに寄せて

昨今の狂牛病で、某K氏は「おれは大学卒業して以来ずっとベジタリアンだから、狂牛病は関係ない」といって狂牛病に戦々恐々としている我々を冷笑した。
「動物の命を奪うような食事はしない<かなり要約(^^ゞ 」とかなんとか。
が、奴は卵を食べる。
「卵はいいんだ」そうな。

結局、ご立派な論を説いたとて、所詮「人間」が「人間」の基準で作ったルールに則ってるだけで、それは一般的には「自己満足」とか「趣味」とかいうんじゃないのかね。(食べ物で言うならわがままっ子の「偏食」じゃないか)

(それに大人になってからベジタリアンになった、ってーことは
そのお体と、脳みそは、しっかり肉で作り上げられたってことじゃないか。動物性たんぱく質で作りあげられたがっちりしたガタイがあるからこそ、ベジタリアンなんてのんきな話もできるのだということを忘れてないか?)

それから。
命は動物にだけあるんじゃない。
植物にもあるんだ。人間に害をなす病原菌だって「命」じゃないのかね。
動物にだけ配慮するなんざ、実に勝手な論理だね。

いや、本人の「趣味」だから、口ははさむまい。
でも、「この趣味をやらない人はおろかである」といった口調で他人に説くな。
うっとうしい。




我々は人間である
日本人である。
来世(笑)はどうなるかわからないけど、
私はこの与えられた自分の運命を最大限に感謝して有効に楽しんで使い倒したい。

今の時代に生まれて
日本人で
人間で
というこの運命は
いわば「1億円の宝くじに当たった」というのとかわらない状態だと思っている。

あたっちゃったことにオロオロするだけで当せん金を有効に使えなかったり
当たったことを自慢しすぎて余計な禍根を周辺に残したり、
他人に指示された通りに使うだけで、当たったことに喜びをもてなかったり、
そんなこんなで「当たった」こと自体を恨んでしまったり、
それで「1億円なんか当たらなければよかった」なんて言い出したり。

こんなセリフを聞いたら、くじに当たらなかった人はものすごい「反感」をもつだろうね。「なんていやみな奴だ」と思うだろうね。

そして「当たらなかった人間」と「当たった人間」になんの差がある?
当たった人が「いいなあ」とは思っても、当たらなかった人へ「かわいそうに」とか「気の毒」とかは普通は思わないだろう。
「当たったから当たらない人へなにかせねばならぬ」なんてこともないはず。
「好意」はあっても「義務」はない。
「当たった人は(お金を持っているから)偉い!」なんてことなぞ、考えるだけでバカである。

そして
宝くじは
買った人間に皆平等には当たらないのだ。
それを忘れてる者が多い気がする。

・・・平等、平等、、、嫌な言葉になってしまったな〜・・・。




◆昔の今日の記事


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