++るうの独り言++
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2001年12月23日(日) クリスマス〜♪

こういう楽しい行事は、なんも考えず浮かれまくることにしているので、ツリー飾り付け以来、子ども並にるんるんしている。
今日は肉屋に丸鶏を受け取りにいって、ハーブ摘んで、うっひょっひょ♪


こうやって世間が浮かれ騒いでると
「け。日本人のクリスマスなんて!」って小ばかにした目で見つめて、クリスマスの意義をとうとうと説く連中がいる。<私のそばにはこういううんちく垂れが多すぎるのだ(^^ゞ
「クリスマスも初詣もする節操のない日本人」とか「バカ騒ぎ」とかなんたらかんたら。
で、粛々と「1日カトリック信者」になって教会にいって賛美歌なんかうたうんだよ〜。(笑)


ここではっきりいいたい!!
日本人だからこそ、日本人のなかに脈々と流れる無意識の宗教観ゆえに、こういったクリスマスの過ごし方ができるのだ、と。
節操がないんじゃない。これが日本人の宗教観なんだ。
だいたい偉そうにクリスマスについては力説するが、
同じ理屈なら、「七福神」の存在についても苦情を申し述べねばならないはずなのに、それはどーでもいいんかい?

某前首相が「神の国」とかいって大ヒンシュクを買っていたが、
私にいわせると「なんで非難されるの?」と。
だってー、むずかしい理屈はわからんがそのとおりじゃーん。

そ。
日本は神の国なんだ。八百万の神様のね。
個々の現象に、個々に神が宿るという考え方。
そして「和をもって尊しとなす」の精神。

「外国には外国の神さんがそら当然いらっしゃるだろう。認めましょう。キリストさんも釈迦さんもみんな日本に来てくれてありがとさん! 大いにぱああああっとやりましょ! なに今日はキリストさんの誕生日? そりゃーますますめでたい。ほれほれ飲みなされ!おどりなされ。そういえばサンタさんってば、うちの大国主命ににてますなあ、みなさんそうおもいません? わっはっは」

ついでに八百万の神さまがたは、決していわゆる「高潔なお方」ではない。
能力は高いが、性格は普通の人間とかわらない。それ以下の方も(^^ゞ 
そこが日本人の考え方で面白いところだ。だから「キリストさん」も「釈迦さん」もそれと同等のレベルで捉える。
(だから「いっくら神様が食べちゃいけないってもさー、いいじゃん少しぐらい〜」なんて考えも浮かんできてしまうのだ。わはは。それが証拠に、日本人の肉食の習慣はこっそりずーっと続いていた)

もう少しいうと、キリスト教も仏教も日本に入ってきたとしても、「日本の宗教観」の洗礼によって「本質」が変えられてしまっている。これはいろいろな文学作品にも出てくることなのでいまさら私が言うまでもない事実。(キリスト教に関しては芥川、遠藤周作を。仏教では「ビルマの竪琴」なんて作品もある)
同じ神を信じていても日本人は「アブラハム」には絶対なれない、と思う。「エリコ」の虐殺ができる人、手あげてー! しーん。


その才能によってこちらも大いに利益をえられるのだが、おこらせちゃー大変、という「気難しい気まぐれな」隣人達と、うまーくやっていくために考えたのが「和」の精神。

これが「日本人の宗教観」だと思う。「何々教」と名はつかないけど、日本人の血の中にしっかり定着してる気がする。
節操がないんじゃないのだ。すべてを受け入れて、とりあえず仲良くやってこうじゃないのー、という「和」の哲学。

もっと行ってしまえば、この「日本人の宗教観」こそが、世界を平和にし、救うとおもいません?ヘ(__ヘ)☆\(^^;)

根本的な日本的宗教観も考えず、えらそうにうんちくたれる人間のほうが実は「日本人」じゃないんだ。

なんてことをいうと
「私は日本人ではありません。国際人、地球人です」とかいいだすんだよー。
どうぞどうぞそれでけっこうでございます。
そのかわり私はこういう連中を「根無し草さん」とよばせていただきますから。




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