
|
 |
| 2005年05月30日(月) ■ |
 |
| 98旅ノートから「東京への旅」 |
 |
過去の映画の感想集のつもりであったが、なぜか映画ノートの中に、98年の旅の記録が紛れていた。読んでみて、どこにも発表しないのはもったいないので、ここに記す(^^;)
4 . 1 7 東 京 へ の 旅 4月17日東京はどしゃ降りの雨になった。岡山は蒸し暑い曇り空で雨一つ落ちなかったというのに、私はなぜか東京の明治公園にいて、シャツ一枚着て、体を半分ぐらい濡らしながら、1時間ほどの集会に参加していた。労働組合の指名ストで、労働法制反対の国会要請と集会に参加する一団に加わっていたのだ。 私がジャンパーももってこないで身軽な格好をしていたのにはわけがある。その日の一日前の天気予報では東京は3日ぐらい晴が続いて暑くなると思っていたからだし、集会に参加したあと、2日東京に残ってしっかり東京散歩を楽しもうと計画していたからた。 集会のあと、私は「びしゃこ」になっていたにもかかわらずこの後の久しぶりの「旅」に気持ちが華やいでいた。
まずは浅草にいく。浅草演芸場が目当てだったが、昼におもしろい咄家が集中していて、夜の部は圓窓のみだったので、またあしたこよう、ということにした。浅草ロック座に入ろうかとずいぶん迷った。6000円も払ってあまり有名じゃない娘のヌード見ても仕方ないと止めた。今は後悔している。浅草辺りを3時間、食べ物を捜してうろうろした。まずは案内本をゆっくり見ようとインド料理店で1100円のカレーセットを食べる。その後神谷バーに入り、電気ブラン360円と牛もつ460円を頼んだ。レトロな雰囲気だが、人はたくさん居り、気軽な居酒屋として雑多な人が利用していて、楽しかった。
花屋敷の辺りから、千束、富士を通って土手通りを上がり、吉原大門を過ぎて土手のいせや本店で天丼1400円を食べた。その直前に向かいのラーメン屋で元祖つけ麺600円というのを食べたので、もう腹は一杯で無謀な試みではあったのだが、このコースはかって永井荷風がよく歩いた道なのである。もう花街はなくなってかっての面影今居ずこではあるが、昭和2年建築というこの天ぷら屋はやはりどうしても入っておきたかった。味は高いだけあってすばらしかった。濃い味付け、丼にエビとイカと鰺の開きが所はみ出すように並べられている。さらに上がって三輪駅のすぐ裏に浄閑寺がある。昔吉原の女達の無縁墓があるという。中には入れなかったが、荷風の歩いた跡をたどったことで満足する。しかし、荷風、散歩どころじゃない、よく歩いている。ここから築地に向かう。日比谷線で190円。東京東本願寺裏のビジネスホテルバンに泊まる。5階から上はホテルの部屋をオフィスに改造していて、夜中や朝早くも人の出入りがあった。さすが築地。
7時30分に築地にいく。いくらの醤油付けがワンカップ500円、うなぎも市価の約2/3だ。目的は朝飯だから、行列のできている寿司屋に入ることにする。寿司清本店。おまかせはAが2300円、Bが3200円だ。Aを頼むつもりで入ったら、隣の一団が次々と注文を始めた。釣られて自分も一品買いをし始めていた。まずはイカ。ほんのり甘い。そして上品な弾力。そして玉子。シャリの上にのるのかと思ったら、玉子の中にご飯を挟んで出てきた。イワシ。甘み少しあり。臭みはほんのりと残り、これも又吉。中トロ。これが本当のトロなのか。私は感動した。口の仲で歯ごたえなくとろけるのである。今までのトロは単なる筋肉であった。タコ、ミル貝、新鮮。イワシの辺りから板さんが次は何にします?と聞いてきた。安物ばかり頼んでいるから、後ろに並んで待っている人もいるし、煙たがられたのだろうということは何となく察知でき、お愛想を頼んだ。「またいらっしゃい」「ありがとう」次はおまかせを頼もうと心に誓った。そういえば、池波正太郎も、正しい寿司屋の食べ形として何回も足を運んだ上で初めてカウンターに座るものだと諭していたではないか。しかし生ビールをいっぱい頼んで、しめて2820円であった。安い。本格寿司屋入門編としてはいい体験であった。
この後よせばいいのにもう一軒築地の店を試した。ラーメンの井上。やはり行列ができていた店である。蓋し行列ができる店とできない店との差は僅かなのだと思う。最初から作る手順を見てみる。丼に醤油、刻み葱を入れ、白い粉を少なからず入れていた。調味料だろうか。味の素であろうか。そしてスープを入れる。素早くゆでた細麺を入れ、厚切のチャーシューを4枚入れる。(おそらくここが差なのだろう。しっかり煮込んで肉が縮んだチャーシュー)最後にカイワレと葱をのせて出来上がり。さっぱりスープでうまかった。600円。
佃大橋を通って月島に渡る。古い佃煮の店を横目で見て、住吉神社に行くと、どういう根拠か知らないが、写楽の墓があった。しかし深川とも近く、そして人里から離れているここが終焉の地に相応しいとも思えた。月島は『拝啓おふくろ様』の下宿があったところだ。奇跡的に戦災を免れたここは、確かにそのころの下町の手触りがあった。細い路地。その中の地蔵様。洗濯物。
月島駅前からバスに乗って門前仲町で降りる。深川不動、富岡八幡、弁天、大黒天を通って、深川江戸資料館に入る。思いがけず、充実した展示内容だった。長屋を一つ一つきっちり時代考証して再現しており、この点では国立の東京江戸博物館より充実していた。深川には寺がいくつもある。その中のお墓の一つにこっそり入ると、さすがに江戸時代の墓も多く、そして欠けている墓も多い。地震にやられたのだ。谷中の墓とは大違いだった。 深川宿で昼飯。あさりの味噌のぶっかけである深川飯と炊き込みご飯のセット、「辰巳好み」が2000円。昔は長屋の人たちのささやかな食事だったのに…。清澄公園東隣りの深川図書館に行く。総板張りの落ち着いた図書館。もっとゆっくりしたかったが先を急いでいるので、森下駅をめざしていくと迷ってしまった。仕方ないので、バスに乗るとさらに迷って2回乗り継いでやっと両国駅に着く。
東京江戸博物館は都立だけあってその総合的立体的な展示内容は、他を圧倒していた。例えば、一武士の一ヵ月の行動を現在の地図に落として見せている。相当遊んでいたということと、籠も使ったかもしれないが、それにしてもよく動いている。自分も歩いたからわかるが、日本橋を通って深川に行き、その日のうちに浅草まで行っているとはすごい行動力だ。半日かけてゆっくりと見たがまだ見き切れない。
両国ビヤガーデンで地ビール飲んでお宿の日暮里へ。 次の日は、早朝から谷中巡りだ。
《現在の感想》 記録はここで止まっている。おそらく日暮里のホテルでここまで書いて、力尽きてそのままにしていたのだろう。いやいや良く食べている。しかも贅沢三昧だ。もうこんな旅をすることはないだろう。 けれども、このグルメコースはお勧めです。東京の文化が良く分かります。
浅草ロック座はいまだ見ていない。でも、いまだ見てみたいという気持ちは変わらない。テレビ番組でヌードダンサーたちが踊りに自分の生き方をかけているような場面があったし、渥美清等の芸人を産出してきた本場を見て、何かを感じたいので。
最初に出てきた集会は、労基法の改悪反対集会だろうか。フレックスタイム制の導入、派遣社員を認める法律、パート採用を首切れる法律、この頃からいろんな悪法が通っていった。そして今年、更なる労基法の改悪が進められようとしている。
|
|