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2005年05月08日(日)
96映画ノートから「午後の遺言状」

話は全く違いますが、
今日朝日新聞に「意見」をメールで送りました。

最近のJR西日本への記事は目に余るものがあります。
私も、あの記事のことは本当に心痛めていますし、原因の究明も急務だと思います。そのひとつにあの会社の「体質」があるとは思っています。
しかし、だからといって、オフの時間にボーリングしたとか、宴会したからといって、「一面トップ」で扱うような事柄なのか。大新聞がそんな見識でいいのか。ワイドショーなんか調子に乗って、宴会の領収書まで鬼の首を取ったように公開しています。これも新聞が先鞭をつけたと思っています。
もちろん体質に関係した記事だとは思っています。しかし、これは個人攻撃になります。しかも、法律的になんら問えないような事柄です。「統制の足音」という好記事がありましたが、まさに私はこの朝日の記事の扱い方に統制の足音を感じます。
大新聞は確か「客観報道」を建前にしていましたね。私はもちろん、そんなものは幻想で「主観報道」であるべきだと思っていますが、今回は見事な「主観報道」ですね。しかし、主観報道である以上は、どの報道が今一番大切なのかをセレクトすることだと思います。また、支配される側に立った報道をするべきです。この報道は弱いものいじめです。
私は本当にげんなりしています。

私の意見は以上です。
「事実とは何か」を連載した以上、一応報告しておきました。

96/1/21        シネマクレール
「午後の遺言状」
新藤兼人監督  杉村春子 乙羽信子 朝霧鏡子 観世栄夫 瀬尾知美
近代映画協会製作  撮影三宅義行
杉村が惚けた朝霧に語りかける。「楽隊はあんなに楽しそうに、あんなに強くなっている……。わたしたちの生活はまだ終わっていないわ。生きていきましょうよ。」それを見つめる乙羽の目が印象的だ。乙羽はその台詞に役の上でも、本心でも共感しているのだ。顔の疲れは隠せない。
しかし、これが半年後には死んでしまう人の演技だろうか。ポックリ逝ったわけではない。抗がん剤を打ちながらの演技である。
ひょうひょうと布団を運ぶ乙羽。23年間、一人手で娘を育て上げた農家の女の姿だ。
たった48席しかない映画館だが、ほとんどの席が埋まっていた。8割以上は50歳以上である。若者はほとんどいない。ひょうひょうとした演技やボケの演技がえらく受けていた。50〜60歳の夫婦が隣に座っていた。声だけ聞くと、30歳のように思える。筋と関係ないところをひそひそと二人で話題を共有している。そうやって観る映画であった。

《現在の感想》
後にも先にもシネマクレールであんなにお年寄りが集まったのは、これが最高だろうと思う。乙羽信子の遺作である。新藤監督はその後も同様のテーマの作品をひとつ撮ったが、この作品ほどのエネルギーは感じなかった。乙羽だけでなく、杉村春子もこのあと数年して亡くなった。演劇人や、作家、は表現をしている人なので、亡くなる前出る特有の「輝き」をきちんと表現して残すことができる。すべての人がそうではない。だからこそ、渥美清、宇野重吉にしても、そういう作品はきちんと目に焼き付けておきたい。