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2005年05月05日(木)
映画「夏の庭」について(8)

僕たちは、初めて葬式に最初から最後まで参加した。
最初から最後まで泣きとおしだった。
知っている人が死ぬなんてこんなに悲しいことだとは思わなかった。
さあ、これからおじいさんを火葬しようというとき、
おじいさんの元のお嫁さんがやってきた。
僕たちは気がつかなかったけど、
後から考えると、僕たちがサッカーをしているとき
おじいさんはおばあさん所に正装して訪ねていったのだと思う。
おじいさんはそれで安心してしまったんだろうか。
おばあさんは今は呆けた感じは全然ない。
おじいさんの遺体に向かい、
「ご苦労様でした」
と頭を下げた。
おじいさんは小さな白い箱に収まった。
それを、例の意地悪二人組がはやし立てる。
ひとりはいつものようにずーとビデオを回している。
そのとき葬儀屋のおっちゃん(笑福亭鶴瓶)が怒った。
「人の死というもんは神聖なもんなんや。囃すもんとチャう。」
ビデオの男の子は恥ずかしそうにビデオを隠す。
そうして僕たちの夏は終わった。


この場面は私の一番好きな場面だ。
おじいさんは自分の人生にとりあえず落とし前をつけて
死んでいったに違いない。
あの燕尾服の正装はそのことを表わしている。
鶴瓶が子供を諭す言葉も大好きだ。

20歳を過ぎても私の周りには死んだ人がいなかったのだが、
その後約10年間で親類だけでも
私の母や祖母を合わせて5人が立て続けに死んでいった。
この映画を見たのはそれが一段落付いたころである。
日本人は韓国人のように人前で大声で泣いたりしない。
気丈に振舞えば振舞うほど周りの人は
当事者の気持ちを「察して」立派だったという評価を下す。
どうしてそうなってしまうのか良く分からないけど、
私も、とんでもない寂しいところで急に涙が出てきてしようがなかった。
だからこそ、葬式で肉親が泣いているのを目撃したりすると胸が潰れる。
ただ、後で話題になるのは、
本人はあそこまで生きたんだから本望だとか、
若いのにかわいそうね、とかいうことで、
死後天国に行くだろうとか、ぜんぜん話題に上らない。
日本人は「生きているときにどれだけ満足したか」が
死ぬとき幸せだったかどうかの基準になるみたいだ。
しかも「終わりよければすべて良し」の場合が多々ある。
このおじいさんもきっとその部類に入る。
おじいさんはいい死に方をした。
三人組は結果的にそれを助けた。
三人組はそんなことも含めて「死とは神聖なもの」だと学んだ。
観客の私たちはそのことに救いを覚える。

以下次号。