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| 2005年05月04日(水) ■ |
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| 映画「夏の庭」について(7) |
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おじいさんは優しかった。 おじいさんはすっかり元気になった。 河辺はかぎっ子であったけど、 おじいさんから何の知恵を教わったのか元気になっていったし、 木山も「家庭の事情」はあったけど、(すみません忘れた) なんとなく元気になっていった。 僕たちはおじいさんの死ぬところを見たい、 だなんていう当初の目的をすっかり忘れていた。 僕たちの楽しみはほかにもある。 今はサッカーに夢中だ。 その日も校庭で僕らはサッカーをやっていた。 僕たちは気がつかなかったけど、 おじいさんは燕尾服を着て、 よたよたとサッカー場の上の土手を歩いていった。 それからしばらく経って、 僕はいつものようにコスモス揺れる庭からおじいさんの家の中に入る。 おじいさんは寝ていた。ように思えた。 動かない。 川辺も山下も来る。 木山「おじいさん……死んでいる……」 僕たちは逃げだした。 おじいさんの表情なんて見ている余裕はなかった。 なく余裕もなかった。 何がなんだか分からなかった。
映画「エコエコアザラク」の最初の監督をした 佐藤嗣麻子が言っていたのですが、 映画で世界共通のテーマが三つあるという。 ひとつは「愛」。恋愛ものは必ずありますね。 ひとつは「性」。そういえば、世界共通していますわな。 ひとつは「死」。このテーマの映画で名作といわれるものが、 本当に山ほどある。 「夏の庭」もそのひとつだ、と思う。 こうやって三人組は初めて本当の人間の死に向き合う。
人の死というのは、いつであっても衝撃的である。 時には人の生き方さえ変えてしまう。 今回の福知山線の犠牲者も、生存者も、 いったい生死の分かれ目はなんだったのか、生存者は 運命というものに対峙する人生が始まるのだろう。 残された者にとっては、 後悔の日々や怒りの日々が始まるのかもしれない。
ただ、死に行く人にとっては残された人たちの 人生は重要なことなのだろうか。 それぞれの人生にはそれぞれの意味があるには違いないのだが。 おじいさんは幸せだったんだろうか。 子供たちのおせっかいは意味があったんだろうか。 私はとりあえず、そのことだけでも知りたいと思う。 次号で少し展開したい。
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