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2005年05月02日(月)
映画「夏の庭」について(5)

おじいさん「私には妻がいた。しかしそれは復員して帰ってからまでだ。そのあと別れた。聞けば、ほかの人とすでに結婚して子供も出来ている。幸せに暮らしていればいいのだが。」
木山「どうして別れたの」
おじいさんは戸惑う。おそらくまだ誰にも話したことがなかったのだろう。しかし、この台風の雰囲気がおじいさんに何かを呼び起こしたのかもしれない。おじいさんは話し出す。戦争に行っていたときのことを。そのとき、おじいさんは人を殺したんだ。敵という名前で呼ばれている人を。それは怪談話より恐ろしい話であった。山下はぶるぶる震えだす。
おじいさん「私は妻にいった。もうこれ以上一緒に暮らせない。」
木山「奥さんには戦争のこといったの」
おじいさん「いわない。あれはどうしても納得できないでいたようだ。」
木山「奥さんに会いたいの。」
おじいさんは困ったように小さく笑う。「そうじゃな。会って謝りたいかもしれない……」
木山「僕たちが探してきてあげる!」


会話は相当違っているかもしれません。まあ、だいたいこのような話だったと思います。

思いもかけず、戦争の話が出てきました。おじいさは、ずっとこの話を自分のうちの中にためて一人で暮らしてきたのでしょうか。ありえる話だと思います。おじいさんは戦争末期に召集されたのでしょう。戦争の世代というのは一年違えば、ぜんぜん人生に与える影響が変わります。戦争の召集される前の世代、戦争末期に招集された世代、戦争の初期から召集された世代、もうそのころは招集されなかった世代。

されなかった人たちは戦争に協力した人たちがほとんど。知識人のえらいさん、村のえらいさんたち。永井荷風、河上肇なんかは例外中の例外である。

戦争中期の人たちも同様であるが、彼らは青春時代は、戦前の時代である。大正時代の自由な雰囲気を少し知っている。だからいくつかの試練がある。丸山真男は初期に特高警察に連れて行かれたのが、大きな試練であった。

戦争末期の人たち。もうすでに戦争に反対する手段は何一つ残っていない。加藤周一は、死んでいくようなきもちで1941.12.8を迎えたという。特攻に行った人たちも多かったに違いない。昨日たまたま、友人のHPを見ていたら、1945年8月26日、つまり敗戦後数日たって元特攻の教官が郷里の村の墓の横に自爆していったという歴史的事実を掘り起こしていたのを見た。自分の生家の屋根すれすれに飛んで生き、少しアクロバット飛行をしてみせ、そして田んぼの中まっさかさまに落ちていった。

戦争の世代というのは良く分からないが、「死」と隣り合わせの世代なのだろう。それと比べると、戦争に直接行く直前で終わった世代の話はまだなぜか明るい。というのも私の父親がそれだった。呉の海軍教習所にいって8月15日を迎える。子供のころ、毎日毎日そのときの話が出てくる。要は苦労話である。子供は同じ話が出てくるとうんざりするけど、大人には分からない。

さて、いまは平和な時代なのだろうか。
それとも召集される前の時代なのだろうか。
以下次号。