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| 2005年04月29日(金) ■ |
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| 映画「夏の庭」について(2) |
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最近の「連載」を読み返してみて、 改めて、誤字・脱字、間違いの多いのを知りました。 すみませんでした。 一つ一つの訂正はしませんが、 大きな間違いをひとつだけ。 四国の巡礼は「48」の寺を歩くわけではなく、「88」でした。 その他、いろいろ間違えている気もします(^^;) 支障のある間違いは直していく所存ですので、 ご指摘をいただくとありがたいです。
ところで、 「夏の庭」はたった一回のみ見ただけなので、 私の記憶は間違いだらけかもしれませんが、 比較的良く覚えているほうなので、 あらすじ(ピンク)を載せていきます。 地の部分は私の感想です。 相当脱線する予定です(^^;)
夏の始まり、いつもの小学生(5年くらい)の三人組が 塀の前で話し合っている。 木山(主人公各、かわいい)、河辺(チビでメガネ)、山下(でぶっちょ) 山下が葬式にいった話をする。興奮している。 でも死体をきちんと見たわけではない。 木山「なあ、人は死んだらどうなるんだろう」 河辺「僕時々想像してみて、怖くて仕方なくなることがある。」 といいながら、河辺は塀の上に登る。落っこちたら死ぬかもしれない。 本当に落っこちそうになる。 川辺「人が死ぬところを見てみたくないか。」 彼が言うにはこうである。近所のあばら家に、今にも死にそうな老人が住んでいる。彼を見張っていれば、彼は必ずもうすぐ死ぬだろう。そのとき僕たちは人が死ぬところを見ることが出来る。相談はまとまった。
私も小学生のころ、 突然「僕も死ぬのだ」と気がついて怖くて仕方なかった。 死ぬのはあと何十年も先のことだとは分かるのだが、 (事故や病気で死ぬなんて事は少しも考えなかった) それでも怖かった。何十年なんてあっという間に過ぎ去る気がしていた。 そんなこと考えるのはたいてい学校からの帰り道だ。一人。 私はなんかの結論が付いただろうか。 付かなかった。ただ、「怖い感情」が通り過ぎていくのを待つしかなかった。 当たり前だ。これは哲学の大問題なのだから。 これが解決したら宗教はいらなくなる。それはともかく、 親にもいえない。(言っても仕方なかっただろう) 言える友達はたぶんいなかった。 この映画の場合、3人組というのが良かったのだ。 中学生なら一人の親友に打ち明けて、 そこから違う物語が発展していっただろう。 小学生だとその他大勢の友達に言うしかない。 あはは、といって終わりだ。 3人組だから話を煮詰めることが出来たのである。
以下次号。
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