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| 2005年04月26日(火) ■ |
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| 本多勝一「事実とは何か」について(21) |
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大学教授会が、生協設立に賛意を表し、運動に参加したのである。 今思えば、 ここが分岐点だった。
と、昨日書いたわけですが、 なんか締め切りに追われる漫画家の気持ちが分かってきました。 確かに分岐点だったのでしょうが、 じゃあ何が出来たのか、 お前(<わたし)は何をしたのか、 それより、今現在、当初の予定をしないで これを書いているお前はどうなんだ、 と、なんだか落ち込むようなことばかりが浮かんできて、 吾妻ひでお「失踪日記」じゃないですが、 失踪したくなるようなことばかりです。 今日はいい天気です。しっかり運動しなくちゃ(^^;)
それはともかく、
教授会は味方であると同時に冷ややかな観察者であった。 学館の出来るぎりぎりの時期に生協に賛意を表わしたのは 彼らの大人としての判断だったのだろう。 学生としてはそれを最大限宣伝すべきだった。 ともかく圧倒的多数の学生を巻き込み、 学生の過半数を出席させて、生協設立準備大会を成功させるか、 圧倒的多数の生協出資予定者の名簿を約半年で作るべきであった。 そういうことさえも思いつかないか、考えても実行できないでいた 学生の見識というのは あまり「自主管理・自主運営」を言っている人たちを笑えないのであった。 新聞会としては、 そういう「主張」さえ書かなかった。 教授たちを巻き込んでのインタビュー特集、 今が正念場だという学生への煽り、 そんな企画をどうして立ち上げなかったのか。
結局当局が勝手に学館に生協を想定していない青写真を作り、 生協設立の運動は潰えてしまう。
「昔は大学新聞を作っている人たちといえば、 その大学の最も理論派といわれるような人たちだったんだけど、 君たちを見ているとなんだか悲しくなってくるよ」 ある教授からそんなことを言われたことがある。 そんなことを言っても、 われわれとしては新聞つくりになんかの憧れを持って集まった 素人の集まりなのだから困る、というのがそのときの感想なのであったが、 やはりその言葉は忘れることがいまだに出来ていない。
あのときの反省を私はこの22年間活かすことが出来たのだろうか。 恥ずかしい限りである。 仕事をしている一日の約12時間(以上)は、 そのことを全く忘れなくてはいけないような状況がずっと続いてきた。 別にだからといってしっかり仕事をすることは 人間として恥ずべき事ではないけど (むしろそれを全うするのは素晴らしきことだけど) もういいやと思う。 「昔の初心を思い出したい」 今はしきりとそういうことを思っている。、
振り返って現代、 ただの経済部記者だった斉藤貴男が「不偏不党」「客観報道」から離れ、 旺盛なルポ活動をしている。 小田実、鶴見俊輔以外は対外的な活動をほとんどしてこなかった 9人の知識人たちが「9条の会」を作り、 その想いは燎原の火のように広がっている。 こんな人も出てくるほど、現代はいよいよ、 時を逸してしまっては、「あとで後悔する」というよな時代になってきた。 いや、突然変わってはいない。 加藤周一の言葉を借りれば、 「なし崩し的に」これからも変わっていくのだろう。 しかし、22年前と比べるとぜんぜん状況が違うというは、 その通りなのだ。(この場では到底展開することが出来ない)
本多勝一の「事実とは何か」は 私の大学時代に大きな影響を与えた。 しかし、すべてを与えたわけではもちろんない。 どんな影響を与えたのかを、 私はこの拙文でやっと書けたような気がしている。
以上。
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