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| 2005年04月25日(月) ■ |
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| 本多勝一「事実とは何か」について(20) |
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大学の生協設立運動は分裂していた。
例によって、文化会、大学祭実行委員会、女子学生の会は 生協施設を含めて、作る予定の学生会館を 学生の「自主管理・自主運営」にすべきだと主張していた。 すでに東大安田講堂のそういう闘争が破綻してから10年以上経ったあとなのではあるが、彼らはそういう意味では「保守的」であった。 しかし、自主運営はいいとして、自主管理の中身はといえば、 鍵は学生が持つのだ、というぐらいのイメージしか持っていないのであった。 大きな建物の管理には専門家が必要であるし、 窓ガラスが割れたときはどのように保障するのか ということ自体も答えられないのではある。 しかし彼らには一定の力があった。
新聞会を含めてわたしたち有志が集まった「作る会」のメンバーは、 大学生協連合会自体の援助を得て、 「現実的な」青写真を用意していた。 しかしわれわれ有志の数は少なく、 勢力は二分していたか、もしくはわれわれのほうが不利であった。
そして圧倒的多数の学生の中では、 「そういう運動には関わりたくない」という雰囲気が蔓延していた。 当時は(今は知らない)学生運動の残滓が残っていて、 親や知り合いから言われていたのだろうか、 「運動」にだけは関わるなよ、といわれて、 そういう親に反発するような学生はほとんどいなかった。 いわゆる「学生運動」は良くも悪くも「輝き」が失せていたのではある。
そういう中で何度か、二つの勢力と当局が学生会館の構想について話し合いを持つ。 わたしたちは、青写真決定まで一年を数えるような状況になっても 何の打開策ももてないでいた。 そこに大きな味方が現れる。 大学教授会が、生協設立に賛意を表し、運動に参加したのである。 大学の先生たちはいわば、生協とは何か、身をもって知っている人たちである。 学生時代、そしてほかの大学にいたころ、その恩恵にあずかっていたのだから。 今思えば、 ここが分岐点だった。
以下次号。
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