江草 乗の言いたい放題
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2014年01月01日(水) 元旦に靖国神社について考える        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan


 昨年末に安倍首相が靖国神社を参拝したことは世界に大きく報道された。韓国や中国が反発してるからとなんとアメリカの駐日大使までが「失望した」というコメントを発表したことにはあきれてしまったが、そもそもなぜ靖国神社がこんなに誤解されてしまったのか。なぜ「戦争犯罪」なんてものがあって、A級戦犯とされた人々がそこに合祀されたことがいけないのか。そもそも戦犯の人たちは悪意があってあの戦争を始め、国民を苦しめたという罪をかぶる必要があったのか。そんな疑問を感じるようになったのである。

 もしも太平洋戦争が起きなかったらどんな歴史が存在しただろうか。映画「永遠の0」では妻子に「きっと生きて帰る」と誓ったのに特攻に出撃して亡くなった主人公が出てくる。昨年は奇しくもあの時代を描いた映画が多かった。「風立ちぬ」「少年H]も同じ時代を描いている。「少年H」は戦時下の国民の生活を描き、「風立ちぬ」はあの時代の純愛を描き、「永遠の0」は勝ち目のない戦いの中で死ぬことが美徳とされる狂気を描く。

「第二次大戦とはどういう戦争だったのか?」

 アメリカやイギリスといった連合国側は、この戦争の歴史的定義を確定させて、「枢軸国側=悪 連合国側=善」という史観を定着させる必要があった。ニュルンベルグ裁判や東京裁判はそのために必要な小道具であり、事後法によって裁くという全くのイカサマであったことは、参加して少数意見を述べた何人かの判事によって主張されているが、それらの多くは黙殺されてしまい、日本政府はその裁判の結果を受け入れるしかなかったのである。第二次大戦の中で起きた最大の戦争犯罪はナチスによるユダヤ人虐殺と、広島長崎の核兵器の人体実験であるとオレは断言する。南京事件の犠牲者(中国側の主張では南京市の人口の倍以上なんだが)よりも、蒋介石の行った黄河堤防決壊事件の犠牲者の方がはるかに多いし、中国だけで考えるならチベット侵攻で虐殺されたチベット人は数百万だし、文化大革命で殺された人は1000万人以上である。中国にとって南京事件を世界に誇張する意味は自国の黒歴史を隠したいからであり、だから東京裁判で松井石根大将を南京事件の責任者として処刑させる必要があったのだ。

 アメリカ人にとって、太平洋戦争開戦には「日本=悪」「卑怯なパールハーバーのだまし討ち」という刷り込みが国民に対して必要だったわけで、それは日本人にとっても同様であって、あの時代の国民は基本的にアメリカという国に対して敵意を感じてなかったのである。「鬼畜米英」という刷り込みを必要としたわけだ。もっとも現代でも隣国を「敵」だと学校で教える馬鹿な低レベルの国家があるが、そんなカス国家のことは今は無視したい。

 なぜ日清戦争が起きたのか。朝鮮に親ロシア政権ができればそれは日本にとって脅威となるし、そもそも中国は朝鮮をいつまでも属国としてとらえていて、日本にとって自国の防衛と言うことを考えたとき、少なくとも朝鮮半島を日本の支配下に置くことで自国の安全を確保したかったのだと言える。ただ、日本は朝鮮半島から満州、そして中国へと拡大政策をとろうとする。そこに大きな間違いがあったことは否定できない。

 辛亥革命が起きて清国が滅んだときが一つのチャンスだった。西欧列強が中国の土地を租借して進出しようとした時、日本はそこで中国を支援し、西欧列強の侵略に対して「東亜の大義」を主張し、インドシナ半島やインドネシア、フィリピンから西欧を追い出し、インド独立に手を貸してやるべきだったのだ。アメリカと戦わずにアジアからイギリスやフランス、オランダを追い出すのは高度な外交戦略を必要とする。連合艦隊はその時に大いに役に立ったはずである。あの時代に空母機動部隊を作戦運用することができた国はアメリカと日本しかなかった。軍隊は使わずに戦力を誇示することでもっとも威力を発揮する。だから実際には使えない核兵器を近代国家は保有してるのである。

 そんなふうに架空の歴史をそこで想像したところで、今の歴史はそのような流れにはなってくれなかったわけだし、戦勝国によって第二次大戦の善悪は決定されたわけで歴史の評価はすでに決められてしまっている。勝者はそこで自国の正義を主張した歴史を敗者に押しつけることが可能なわけである。(勝者でも何でもない韓国がそこに便乗して自国の歴史を書き換えてしまったことは笑止千万なわけだが。)日本はハングルを普及させ、朝鮮語をきちっと書けるように小学校で教えた。文盲率の高かった韓国に教育が普及したのは日本統治時代があったからである。

 もっともそんなことを主張すれば「植民地支配を正当化した」と言われそうだが、日本にとって台湾や朝鮮半島は植民地などではなくてそこは日本の一部だったのだ。だからソウルや台北には帝国大学が設置されたのである。学校を整備し、役場を置いて戸籍制度を整備するためにどれだけ日本はゼニを使ったことだろうか。日本並みにし、朝鮮人や台湾人は日本人同様に選挙権も被選挙権も持っていた。少なくともそのような統治を「植民地」とは呼ばない。

 戦争が起きたときに常に犠牲になるのは国民である。戊辰戦争から太平洋戦争に至るまで多くの血が流されたわけだが、靖国神社はその死者の霊を弔うことからスタートしている。明治維新という政治体制の移行の中で起きた戦争の犠牲者はいわば国家のために犠牲になったわけで、その慰霊のための施設として神社が造られたことは理解できる。日清日露戦争の犠牲者と太平洋戦争の犠牲者の間に何らかの違いがあるわけではない。国家が何らかの目的を遂行する手段として戦争を選択し、国民がその犠牲となることは有史以来繰り返されてきたことであり、それは21世紀の現代でも基本的に変わらない。

日清・日露戦争や第一次大戦と太平洋戦争の違いは何かと言われれば、日本の領土が戦場となり多くの非戦闘員が犠牲になったということである。靖国神社に祀られているのは軍人軍属であり、空襲によって犠牲になった市民ではない。その両者を区別した時点で靖国神社の性格が誤解を招くことにつながったとも言える。

 中国や韓国が靖国神社への安倍首相参拝に対して抗議するのは、両国が前述の「連合国=善」「枢軸国=悪」という価値観をそのまま受け入れているからである。だったら日本はその価値観を否定して自国が正義の戦いをしたと主張すればよいのかというと、少なくとも東京裁判や日本国憲法を受け入れて「すべてを懺悔して出直した敗者」として戦後の歴史をスタートさせた以上それを振り出しに戻すことはできない。

 日本が起こした太平洋戦争の意味を「侵略戦争」と規定し、日本が「悪」の側であったという連合国側の史観を受け入れた時点で、その犠牲者(軍人に限る)を慰霊する施設の性格は実に奇妙なものになってしまったのである。日本人から見れば戦没者は戦争の犠牲者なんだが、アメリカ人から見れば「悪事を働こうとして返り討ちにあった者たち」でしかないわけだ。そこに参拝する安倍晋三はアメリカ人から見れば「なんだおまえは戦争のことを反省していないのか?」ということになってしまうのだ。我々一般国民が考えてる靖国神社の意味と、韓国や中国、そしてアメリカがとらえてる性格が全く違うのは、歴史観に由来するのである。

 インディアンの土地を奪って成立したアメリカにとって、戦争の大義というのは常に「自分たちが正義」という立場から語られることになる。騎兵隊を悪、コマンチ族を善とする映画「ローン・レンジャー」がアメリカで不人気だったのは、アメリカ人が自分たちの黒歴史を正視したくないからである。太平洋戦争は「卑怯なジャップのだまし討ち」に対して「正義の戦いを挑んだアメリカ」という理由付けを必要としたわけだし、ベトナム戦争は「共産主義の悪を食い止める聖戦」だと国民には説明されていたのである。

 首相の靖国神社参拝をアメリカや中国・韓国に好意的に受け入れてもらうことは不可能だ。そのためには第二次大戦の意味を改めて問い直すことが必要だからだ。

 広島の平和公園には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文がある。この碑文には主語がないのだが、誰が「過ち」を繰り返すのかと考えたとき、アメリカ人や中国人はその主語を「日本」および「日本人」としか理解していないのである。「日本は侵略戦争という過ちを犯したからその罰として原爆を投下された」という文脈でこの碑文は理解され、それはアメリカの重大な戦争犯罪を正当化することにつながるのである。また核保有国の中国から見れば「尖閣諸島のことで文句を言うならいつでも人口密集の大都市に核兵器をぶち込むぜ。なにしろ過ちをおかしてるのはおまえたちだからな」ということになるのだ。

 アメリカや中国、ロシアを盟主とする現在の世界秩序の枠組みの中で日本は永久に「敗戦国」であり、「もと敵国」なのである。それが戦勝国によって作られた歴史の持つ宿命であり、我々はその価値観の中で束の間の戦後の繁栄を謳歌してきたのである。

 かつて戦いとは神聖なものであった。西洋には騎士道があり、日本には武士道があった。織田信長が異端なのは、彼が戦いの中で非戦闘員まで皆殺しにしたからであり、それゆえ彼は排除される宿命を負った。そして近代の戦争の中でもジュネーブ条約によって非戦闘員への攻撃は国際法違反とされていた。そのルールはいつから無視されたのだろうか。たかだか150年ほどの歴史しかない金儲けのことしか考えてない連中が「勝つために」手段を選ばず非戦闘員の女も子どもも皆殺しにした。その「戦争犯罪」を「悪い国へのお仕置きなんだ」と正当化して文句を言わせないようにするために東京裁判が行われた。

 アメリカは日本にとって友好国でも何でもない。それは中国や韓国から見ても同様だ。彼らの頭の中にあることは「我々に逆らうならいつでも日本民族は滅亡させることができる」という傲慢な思い込みである。

 日本は第一次大戦の後にパリ講和会議の国際連盟委員会において「人種的差別撤廃提案」を連盟規約に入れることを主張している。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。この提案に対して投票が行われ、賛成多数だったのだが人種差別を国是とし、多くの植民地で差別的な政策をとっているイギリスは強硬に反対した。イギリス人から見れば日本人などは黄色いサルに過ぎないわけで、そんな連中の戯言は聞く価値もないということだったのである。結局提案は賛成11票、反対5票でありながら「このような重要な案件は全会一致が原則」という理由で否決されたのである。あの時代、世界で最も人権意識が高かったのが実は日本であり、アメリカやイギリスはいつまでも奴隷制度の習慣から抜けられない田舎国家だったわけだ。日本人は自らの精神の高潔さをこそ誇るべきだったのである。

 それなのになぜアジアにおいて自らを中国人や韓国人よりも優れているという勝手な優越感を抱いたのだろうか。どうして自分たちよりもはるかに低レベルの人権意識しかもたないアメリカやイギリスのレベルまで自分たちを貶めたのだろうか。オレはそれが不思議でならないのだ。アメリカやイギリスという腐った国家のレベルに自らを貶め、そのカスどもがやってることを真似た結果が満州国の建国であり、中国への侵攻ではなかったか。フィリピンや仏領インドシナ、蘭領インドネシアを英米の植民地支配から解放したことと、中国での戦いは少し意味あいが違っている。中国の人民と連帯して欧米支配を排除することはもっと外交的な工夫で可能だったはずだ。少なくともインパール作戦はインドの方々からはインド独立戦争と位置づけられ、チャンドラ・ボースはインドではガンジーと並ぶ英雄なのである。

 東京裁判の時にもしも堂々と日本の正当性を主張するような論客が参加していたらどうだっただろうか。おそらくその発言は議事録から削除されるか、裁判が始まる前に彼は暗殺されていただろう。

 現在の日本の繁栄の陰には多くの犠牲があった。その犠牲の上に今の我々の生活が存在する。かつて日本の戦いを正義であると信じ、その大義に殉じて散華した多くの尊い生命をどうして無視することができようか。もちろん戦争における殺戮に正義などないし、大義など勝手に大国の都合で決められるものである。しかし、そうして我々が考えることができるのは平和な世の中に暮らしているからであるということを忘れてはならない。戦争の渦中にある当事者にとっては自分が生き延びることができるかどうかしか考えられないのである。


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