江草 乗の言いたい放題
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2013年11月24日(日) 貧困の中で大人になること        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 朝日新聞記者の中塚久美子さんが「貧困の中でおとなになる」という本を書いておられる。日本の将来を考えたとき、格差社会がどんどん進行して階層の二極分化が進んでいるということと、そのしわよせが子どもに向かってるという現実を我々は受け止めないといけない。勉強できないことは本人の責任ではない。そもそもまともな教育力を持たない親の子がどうして小中学校での学びについていけるだろうか。
 昭和11年生まれのオレの母は、鹿児島県の坊津で育った。幼い頃に「勉強だけは貧乏も金持ちも関係ない」と母(私からみると祖母)から言われたという。そう、昔はたしかにそうだったかも知れない。しかし、今ははっきりと違いがある。小さい頃から親の貧困のために満足な学習環境がない子どもたちが大量に発生してきているのだ。

 小学校の教員は多忙である。そこで割り算のできない子がいたり、満足に漢字が書けない子がいてもなかなかその原因を家庭環境にまで求めて解決することができない。また過程に問題があるとわかっても、その家が母子家庭で母親に精神疾患があったり、あるいは母親のもとに同居している継父が「しつけ」と称する虐待や暴行を繰り返してると知ったとして、どのような対応が可能だろうか。犯罪として立件されるものは全体から見ればほんのわずかである。

 小学校、中学校で満足に勉強できなかった結果、高校に進学しようとするとどうなるのか。そこには偏差値による輪切りが待っている。私立高校を併願で受験してもそこに進学するだけのお金はない。また貧困家庭への就学援助金は小学校・中学校が対象である。そうなると入学試験の偏差値の低い高校や、定時制高校への進学ということになる。実は定時制高校への進学者は最近増加しているのである。

 入学試験の偏差値の低い高校では中退率が高い。卒業しないで中退してしまう生徒の率は、偏差値上位の高校では1%もいないが、最下層の高校では3割近いところもある。そしてそうした学校の特徴は、入学してくる生徒の家庭の貧困率の高さである。親に定職がないとか、親が生活保護受給者で働いていないとか、親がワーキングプアであるとか、そうした子ども本人の努力ではどうにもならない状況が存在するのである。

 そこで学校にいったい何ができるだろうか。そもそも高校段階で失われてきた小中学校の分の学力を身につけさせることにどういう意味があるだろうか。もちろんその学力がないままに社会に放り出され、仕事についてもすぐに辞めてしまうということを考えれば小中学校程度の学力は絶対に必要だ。しかし、高校でそれをするのではなくて、もっと早くに対策がたてられるべきではないのか。貧困の中で育った子どもが高校で小中学校の復習をしたり、その学力でも入れるFランクの私立大学に、奨学金という借金を背負わされて入学し、就職にちっとも役立たずに社会に放り出されることが果たして正しいのか。

 オレはかつてこの日記で、Fランク私大が貧困層にとっては搾取の装置になってるということを書いた。学力が低い生徒まで利子付きの奨学金はカバーしているわけだが、その奨学金という名の数百万の借金を抱えたまま大学を卒業し、非正規雇用でしか就職できない者たちの多くが、貧困家庭の出身者であるという現実をどのように受け止めるべきなのか。こんな状況を放置していて日本はどうなるのかとオレは警鐘を鳴らしてるのだ。

 巷には現業部門の就業者が足りないという状況がある。オレの家の近くには山崎パンの大きな工場があり、我が家に入るチラシにもそこで「従業員募集・正社員登用制度あり」という記事が掲載されている。東日本大震災の復興が進まない原因の一つには土木や建設関係の労働者が減少していて極端な人手不足になってることがあげられる。しかし、Fランクとはいえ大学進学して奨学金を背負った人たちはそうした現業部門の仕事や肉体労働などは考えもしないだろう。

 大学・短大への進学率が5割を超えてしまったために、小中学校の学習も満足に理解しない人たちが大学へ進学し、そして勘違いしたまま就職活動しているという現実がそこに存在しているのである。もしも大学進学せずに高卒で働く場がちゃんと用意されていれば借金を背負うこともなかったのである。すべての問題の解決は親の貧困対策であり、小中学校の子どもに満足な学びの場を用意することなのだ。

 どんな親の子に生まれてくるかを子どもは選べない。親が貧困であったからといって子どもの学びの機会が奪われていいはずがない。オレはそれを強く思う。そして親の貧困ゆえに学べない子どもたちを救済する仕組みが存在して欲しいと思うのである。東京都は生活保護の家庭に塾代をサポートしているという。それもオレはどうかと思うのだ。小学校の校区よりももっと小さな地域ごとに子どもの学びや遊びをサポートできる無償の場が存在し、そこにボランティアの元教員や引退世代の大人たちが集まって子どもたちの世話をして、いっしょに親たちの自立や就職のお手伝いまでできるようなことはできないのかと。

 かつてイギリスでは「ゆりかごから墓場まで」という高福祉政策が伝統的にとられてきた。ところがサッチャー首相の登場によって社会には規制緩和の嵐が吹き荒れ、多くの貧困層が生み出されてしまった。これは日本で今非正規雇用が拡大し、景気が良くなっても労働者の総賃金が減少しているという状況と酷似している。

 2010年、イギリスでは「子どもの貧困撲滅法」が成立した。その結果どの政権も子どもを取り巻く貧困問題と向き合うこととなった。貧困地区には「子どもセンター」が設置され、そこでは子育てのなんたるかも知らない親を一人前の親にするためのサポート体制が充実してるという。日本とは失業率も比較にならないほど高いイギリスでは貧困問題も日本以上である。しかし日本もいずれ確実に同じ状況に陥るだろう。だからこそこの問題には向き合わないといけないのである。

 貧困の中で育つ子どもの中には優れた素質を秘めた子どももたくさんいるだろう。そうした子どもがやる気を失い、不登校になったり自傷行為に走ったりすることを我々は阻止しないといけない。子どもたちを貧困から守るということは、同時にその親たちの生活も支えると言うことであり、今最も求められる貧困対策なのである。

 我が国の将来を考えたとき、数兆円のゼニをばらまく「国土強靱化政策」などよりもはるかに大切なのが子どもの教育である。そこにゼニを回してみようという発想は残念ながら今の既存の政治家にはない。橋下大阪市長などいかに教育関係にかかるゼニを減らすことしか考えていない。教育を立て直すことが地域を立て直し、将来の日本を元気にすることであるということがちっともわかってないのである。



「貧困の中でおとなになる」




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