江草 乗の言いたい放題
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2013年01月07日(月) 受験勉強試論(かなり極論)        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 もうすぐ大学入試センター試験である。この時期になると毎年感じるのだが、なぜこの世には全然勉強しないで大学の入学試験に臨む馬鹿がかくも多いのだろうか。オレはそれが不思議でならないのだ。なんで全然勉強していないくせに受けに来るのか。もしかして入学試験を宝くじと勘違いしていないか。参加することに意義があると思ってないか。アホか。入学試験を受けることなんか受験料を払えば誰にでもできる。そしてFランクの大学は誰でも入れる。全然勉強していないのならば謙虚にFランクの大学を受験して、馬鹿学生の一人となって就職に失敗してニートというコースに乗ればいいじゃないか。どうして勉強もしていないのに難関校を夢見るのか。

 1000円の商品を買うのに1000円持っていくのは当たり前だろう。500円しか手元にないのに1000円の商品を買えるわけがないだろう。こんな当然のことがわかってない馬鹿が受験勉強の世界には多いのである。だから偏差値38のヤツが偏差値70の大学を受験するのである。そして当然のように落ちる。

 なぜ全く準備しないで入試に臨むのか。なんで武器を持たずに素手で戦おうとするのか。入学試験というのはRPGみたいなものである。勉強をしたり模試を受けたりして経験値を高め、参考書などのアイテムを活用し、そうして最後にボスキャラを倒すのである。全然勉強しないで東大や京大を受けるというのは、「ドラゴンクエスト」でまだスライムしか倒せないのにいきなり最終ステージのボスキャラと戦うようなもので、瞬殺されるに決まってるのである。そんなのは勇気でも何でもなくただの馬鹿である。

 勉強しないヤツの頭の中は単純だ。成績の良いヤツというのはなんかコツを知っていて、それをうまく使えばちょいちょいと問題は解けて、たまたま自分はそのコツを知らないからできないだけだと思っていたりする。英語の勉強に全然時間を掛けないヤツが、「どうしたら英単語をたくさん覚えられるのですか?」などと訊いてきたりする。どうしようもない馬鹿である。そんな質問をするヒマがあれば覚えろよ。

 そして揚げ句の果てにはこんなセリフだ。

「いくらやってもできない場合はどうしたらいいんですか?」
 
 なんて究極の愚問なんだ。何千人も入学者がいる大学に入るなんて誰にだってできることだ。何も100m走で10秒を切れと言ってる訳じゃないんだ。普通の人間が普通の努力をしてできるようなこともできないのに「いくらやっても・・・」だっていったいおまえは何をやってるんだ。ふざけるなよと言いたい。みんなが普通にできることが自分にはできないのならさっさと気付けよ。自分が勉強に向いていないのなら方針を変えろよ。手に職をつけて食べていけるようになればいいじゃないか。誰もが医学部を目指す必要なんてないんだから。

 自分が努力しないからでできないのに、授業中にちゃんと話を聞いてなかったから理解できないのに、その責任を「教え方が悪い」「教師が悪い」と責任転嫁して、そうして開き直って馬鹿のままでいようとする。自分の人生を自分でどうにかしないで、誰かさんのせいにして「だからぼくは劣等生なんですよ!」と開き直って、そうして遊んでることを正当化してるのである。オレはそういう馬鹿が大嫌いである。

 古文の授業で古語辞典や電子辞書を忘れてきた生徒に向かってオレは訊く。「おまえは武器無しで素手で戦えるほど強いのか?」と。もしもおまえが素手でどんな相手とも戦えるくらいに強いのなら別に古語辞典を持ってくる必要はない。しかし、そこまでの自信がないのならちゃんと辞書は持参しろよと。戦う前の準備、そして戦いの時の装備は本当に大切だ。雨あられと矢が降り注ぐときに鎧や盾で防ぐのと、そのままハリネズミになって死ぬのとを比較すればいい。勉強しないで入試に臨むというのは、戦争の時に武器も持たず鎧も装備せずに敵に突撃して死ぬのと同じである。

 偏差値65の大学にどうしても入りたいのならば自分の偏差値を65にあげればいいのである。ただそれだけのことだ、ベネッセの模試の偏差値65なんて、普通の人間でもちゃんと努力すれば到達できるレベルだし、どんなに努力してもそこに到達できないとわかったら目標を下げればいいのである。寝る時間も削ってすべてを勉強にために使って、それでも偏差値50ならば、それが自分限界だと悟ればいいのである。しかし、偏差値50レベルの受験生がそんなに必死でやってるはずがないのである。

 オレには必死になれない連中の考えていることがわからない。自分が目標のレベルに達していないのに平気で漫画を読んだり遊んだりできている連中の考えてることが理解できないのである。なぜちゃんと勝とうとしないのか。なぜ合格しようとして必死にならないのか。なぜ馬鹿のままで合格できると思ってるのか。オレには不思議でしかたがないのだ。

 戦場で飛んでくる弾丸が自分だけはよけてくれると思ってるのか。敵の刃が自分にだけは当たらないと思ってるのか。そんなことはとうていありえないことである。

 センター試験の数学がどうしても解けないのなら、できるまでなぜ覚えないのか。過去の問題を何十回も繰り返して、「同じ問題なら100%解ける!」というレベルにまで自分を高めないのか。たいてい数学のできないヤツというのは、全く同じ問題を出してるのに永遠に間違い続けるような学習能力の乏しい連中である。自分が間違えたところを次は間違えないようにするだけで、次回からは同一問題では必ず満点がとれるはずだ。それがいつまでもできないのならあきらめるしかないのである。過去10年分ならどの問題でも解けるというレベルに到達すれば、もうそいつは数学が苦手ではないはずだ。

 このようなことを書くと必ず「あなたのような優等生には我々劣等生の気持ちはわかりません」と開き直られる。そうだ。そのとおりだ。オレにはわからない。オレには全く勉強しないで平気な劣等生の気持ちなどとうてい理解不能だし、1000円の商品を買うための1000円を永久に貯められないような、努力の足りない人間の考えてることはわからない。戦場で敵が槍を構えてるのに無防備に突撃して串刺しになって死ぬ足軽の気持ちはわからない。どうしてなんにも工夫しないのか。それがオレはとても不思議なのである。

 特にイケメンだったわけではない。スポーツで飯が食えるような素質もない。遊んで暮らせる金持ちの家でもない。自分にとって手に入れることのできる目標とは、勉強して大学にはいることくらいだった。その程度の目標を達成できなかったらダメだとオレは思っていたし、同じ高校のまわりの生徒たちには負けたくなかった。だからオレは少なくとも18歳の青春を受験勉強に賭けていたのだ。

 ちなみに受験生の頃のオレは平日でも一日に6時間くらい家で勉強していた。絶対に現役で京大に入りたかったから必死だった。目標を貫徹するためにはやるしかなかったし、模試で出てくる合格可能性がどんなに高くても安心できなかった。最後の最後まで「やれることは全部やる」と思っていた。ただ、試験の前日にTVアニメの「宇宙戦艦ヤマト」を30分間観たのが唯一の息抜きだったぜ。


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