江草 乗の言いたい放題
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2010年08月11日(水) 日本は韓国併合を謝罪する必要があるか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 1910年の日韓併合から100年、菅直人首相は「反省すべきはきちんと反省し・・・」と謝罪の意志を表明する一方で、戦後補償に関しては「解決済み」という立場を示した。100年前の歴史のことについて現政権はどこまで責任を持てばよいのだろうか。少なくとも過去の歴史を現在の価値観であれこれ判断することは意味がないと思うのである。

 もしも日本が韓国を併合しなかったらどうなっていたのか。日露戦争はなんのために行われたのか。もしも日露戦争で日本が大敗北していたならば、おそらくロシアは朝鮮半島を支配していただろう。それは間違いない。そしてあの国のことだから一度自国の領土にした土地は決して返還することなどなかったはずだ。

 日本が韓国を併合した頃は欧米列強が植民地を作ることなど当たり前の時代だった。アフリカや東南アジアは早い者勝ちで植民地にされ、日本はただそれをまねて一番近くにあった朝鮮半島を支配下においたにすぎない。

 ただ、欧米の諸国がアジアやアフリカの植民地を「搾取の対象」としてしか見ていなかったのと比べて、日本の朝鮮半島経営はかなり違っていた。日本はそこに積極的に投資して、学校を建てたりして「内地と同等」レベルにしようとしたのだ。学校に通えない子どもが多くて識字率が低かった朝鮮半島の人々が、きちっとハングルが読み書きできるようになったのは、そのときに学校が整備されたからだという説がある。

 自国を支配されることに対して朝鮮半島の人々にはさまざまな思いがあっただろう。植民地支配に「よい植民地支配」と「悪い植民地支配」があるわけではなく、その本質は同じなのかも知れない。しかし、朝鮮半島出身の軍人で旧日本軍の将官にまで出世した者もいれば、日本で国会議員になった者もいた。ソウルには帝国大学も設置された。日本は韓国を「植民地」にしようとしたのではなく「日本」にしようとしたのである。

 日本が次に実質的に支配しようとしたのは満州(中国東北部)だった。しかし、中国には欧米列強も目をつけていた。朝鮮半島は欧米から「そこまでは日本の領分でいい」と思われていたが、中国まで来るとなると話は別だ。「おいおい、そこまでやればちょっとやりすぎだろう」ということでリットン調査団が派遣され、満州事変は日本による中国侵略戦争と認定されたのだ。欧米列強がこれからその資源や富を山分けにしようと思っていたところに日本が勝手に手を出したから妨害されたのである。

 他の国を軍事力で支配して植民地化する・・・などということが「悪」と見なされるのは現代の価値基準で考えるからであり、当時はそれは「大国にとっては普通のこと」であった。オレは決して過去に日本政府の行ったことを正当化したいと思っているのではない。歴史を客観的に述べているだけだ。

 戦争の行方を客観的に判断できるまともな外交官が居て、もしも終戦があと一年早まったらどうなっていただろうか。少なくともマリアナ諸島が占領されてB29による空襲が日本本土を襲うようになる前に戦争は終わらせるべきだったのだ。そうすればソ連が参戦することもなく、日本の支配地域は千島・樺太から台湾までは残っただろう。朝鮮半島はいずれ独立したと思われるが、台湾は中国本土に支配されるよりも日本の一部であることを望んだような気がする。満州国は日本の支配を離れてロシア人、中国人、朝鮮人、日本人が混じり合って暮らす独立国家になったかも知れない。日本は樺太の油田地域や太平洋上の広大な領海を支配できていただろう。中国はそのまま蒋介石の国民党が支配して、共産化しなかったと思われる。そして日本は核武装しただろう。少なくとも今のような平和国家になるきっかけはなくなったわけだから軍事力を保持したままで経済大国になっていただろう。

 歴史に「もしも」はない。さまざまな可能性は存在しても今に至る結果は一つしかない。そしてどんなに後悔しても一度起きてしまった歴史はもう過去には戻れないし、やり直すこともできない。あのときこんなふうにすればよかった・・・と誰もが後から考えることが可能だが、そのときには誰しもその愚かなことが最善の策だと信じているのが普通である。なぜ日本軍の敗色が濃厚になった昭和19年春にビルマの日本軍がインド北部のインパールに侵攻しようとしたのか、そして大本営はそれを認めたのか。9割近い犠牲者を出したあの無謀な戦いは、もしかしたら大きな戦果をあげて停戦交渉を有利に進めるために行われたのかも知れない。

 日本は韓国併合を謝罪する必要があるのか。100年前の歴史に対して現在の我々があれこれ語ることは意味がないだろう。特に政治家はそんなことを自分の主観で勝手に発言すべきではない。謝罪には必ず賠償が伴うというのは西欧の常識である。謝る必要などない。しかし、過去の歴史を正しく理解して、未来の両国が実りある友好関係を築けるように努力することは必要である。「解決しないことで解決」という政治的決着を一方的に無視して竹島に軍隊を駐留させる韓国の無法に対して、あるいは「日本海」という呼称を勝手に「東海」という韓国での呼び名で呼ばせようと世界に地図や地球儀を配る愚行に対して「おまえらはあほか!」と一喝できることもまた両国の正しい友好関係を築くためには必要である。少なくとも相手の国を舐めたことを平気で仕掛けてくる国とまともな友好関係が築けるとは思えないからである。


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