江草 乗の言いたい放題
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2010年07月26日(月) 森毅・京都大学名誉教授の死を悼む        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 かつてオレは理系の受験生だった。高校2年の2月に受験した河合塾の全統マーク模試では、志望校の私立大学のところに「慶応義塾(医学部)」「学習院(理学部数学科)」とふざけて書き、慶応はB判定、学習院は全志願者中2位でA判定だったことを思い出す。そのまま順調に理科や数学の勉強をがんばっていれば、おそらく今とは全く違った人生が存在しただろう。どうしてオレは文学部などというヤクザな道に進んでしまったのだろうか。18歳にして人生を捨ててしまったことが悔やまれるのである。たかが失恋でそんなに落ち込まなくてもよかったのである。18歳の時に仮に全然モテなくても、ちゃんとがんばって医学部に入ればその後に十分取り戻せて、酒池肉林の日々が待っていたはずである(笑)。高校生の時から恋愛にうつつを抜かしていてもロクなことはないのである。しかし、オレはまだまだ人生のなんたるかをよく理解せず、女にふられたごときのことで妙に厭世的になっていたのだ。

 オレがそうして18歳の文学ヤクザとなって京都大学文学部に入った頃、森毅教授は京都大学の教養部で数学を教えておられた。有名人の彼には数々の伝説が存在した。たとえば試験の答案をすべて校舎の窓から投げ捨てたという逸話がある。宙を舞った答案はもちろん地面に落下するのだが、その時に校舎に近く落ちたものから高得点にしたという。努力した答案には鉛筆でたくさんの文字が書き込まれているから重くなって、それだけ近くに落ちるという理由だったらしい。 「そんなアホな!」と思うが、ご本人の講義を聴くと案外あり得るかもと思ってしまうから恐ろしい。

 森毅教授は確か数学5という名称の科目を担当しておられたと思う。その中味は微分方程式などで、高校数学よりもちょっと発展して大学での数学との橋渡しとなるものだった。それで工学部の数学を必要とする学生たちはその科目を履修していたのだが、多くの学生は別の先生が教える数学5も登録していた。なぜかというと、その科目の知識が本当に必要だったからである。森毅先生の授業は楽しみのために受けるが、同じ内容でちゃんとした先生の授業も受けるというのが工学部の学生たちの処世術だったのだ。

 受講する学生に対して教官は普通なら教科書や参考書を指定する。自分の著書をしっかり買わせるせこいヤツもいる。それでオレの友人が森毅教授に何を買えばいいか質問したところ、こういう答えが返ってきたらしい。曰く「この分野の本は10冊くらい出てるから、みんなが違う本を買えばいい。その方がいろいろ読むことができて面白い。」なんともユニークなお言葉であった。

 森毅教授の試験はなんと試験中に教室の出入りが自由だった。また学生同士の教え合いも自由だった。あくまで「教え合い」である。単なる丸写しはダメだったのである。人の答案を見て理解した上で自分で答えを書けばいいということだった。最近はレポートをウィキからのコピペで済ませる不届きな学生が多いと言うことだが、森毅教授がそんな学生を知れば大いに嘆いたことだろう。

 まだ生き残っていた過激派の学生たちが集まって気勢を上げてるのを少し離れた所から慈愛のまなざしで森毅教授が見守っていたことをオレは思い出す。教養部A号館の階段でジーンズ姿の教授と初めてすれ違った時、オレは「なんやこの変なオッサンは」と思ったくらいで、およそ大学教授らしからぬ雰囲気の人だった。当時、教養部で東洋史学を教えておられた愛宕元先生がとてもダンディーだったのとは実に対照的だったのである。

 そんな森毅教授を慕って、他大学のニセ京大生も潜り込んでは勝手に講義を聴いていたらしい。試験の時に「実はぼくは同志社大学の学生です。一年間ありがとうございました。」と答案に書いた人もいたとか。もっともニセ学生が受講するのを阻止するような仕組みも存在しなかったわけだ。大教室で受講する学生の学生証を一人一人チェックするなんてことは今でも不可能だろう。少人数の演習でもない限りいくらでも勝手に受講できそうである。

 その森毅・京都大学名誉教授の訃報が届いたのである。

数学者の森毅・京大名誉教授が死去
 関西弁の社会、文化評論で知られる数学者で、京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが、24日午後7時30分、敗血症性ショックのため、大阪府寝屋川市内の病院で亡くなった。
 82歳だった。自宅は京都府八幡市西山和気6の11。告別式は行わない。
 1928年、東京都生まれ。71年に京都大教授に就任。関数解析を専攻するほか、教育や文化史全般に関心を広げた。
 91年の退官後、時事問題を鋭い視点と、独特の語り口で論評し、テレビなどでも幅広く活躍した。著書は「チャランポランのすすめ」「現代の古典解析」など100冊を超える。
 昨年2月27日に自宅で料理中に大やけどを負って入院。家族によると、肺炎や敗血症を繰り返し、入院生活が続いた。最近は高熱を出し、4日ほど前から意識がなくなった。遺体は、家族が「医学のために役立ててほしい」と献体した。
(2010年7月26日00時38分 読売新聞)


 高齢だったのに、自宅では一人暮らしだったそうで大やけどを負った事故もそれが原因らしい。高齢者が料理をしているときにガスコンロから引火する事故は割に多いそうで電磁調理器が使われるのもその危険がないからである。その事故がなかったらまだまだ元気だったはずなのにとオレは残念に思うのである。

 すぐれた教育者、学者というよりは変人というイメージの強い方だった。しかし、著書はかなり多く、オレが読んだことのある本だけでも10冊以上ある。森毅先生の教えを受けるために京都大学を目指した受験生も多かったはずである。謹んでご冥福をお祈りしたい。



追記:私が読んだことのあるご著書の中で、読みやすいものをいくつか紹介しておきたい。
まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫)
数学の歴史 (講談社学術文庫)
異説 数学者列伝 (ちくま学芸文庫)
考えすぎないほうがうまくいく―“やわらか発想・寄り道思考”のススメ (知的生きかた文庫)
数学受験術指南 (中公新書 (607))
ええかげん社交術 (角川oneテーマ21 (B-1))
ボクの京大物語 (福武文庫)


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