江草 乗の言いたい放題
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2009年12月27日(日) 校内放送でなぜ「ハゲの歌」を流してはいけないのか        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 校内放送で音楽を流す場合、絶対に流してはいけない曲というものが存在する。つまり、人の身体的特徴をからかったり、卑猥な語句や放送禁止用語、差別的な語彙が含まれているものなどである。そのような曲がいじめにつながることもあれば、児童生徒の持つ偏見を助長する場合もあるだろう。だからそのような曲は決して公共の場で流してはならないのだ。過去に放送禁止になった楽曲というのはたいていそういうことが理由である。

  つボイノリオ先生の名曲、「金太の大冒険」「お万の方」をもしも校内放送で流したらどうなるだろうか。その扇情的な歌詞に女子児童は悲鳴を上げるだろう。放送部の顧問教師は「こんな曲は決して流してはならない」という常識を指導しておかないといけないのである。

 今回、 「ハゲの歌」という曲が小学校の校内放送で流れ、それを聴いた男性教諭が激怒して児童を土下座させるという事件が起きた。日刊スポーツの記事を引用しよう。

児童に土下座強要 頭髪からかう曲で教諭
 前橋市立桃木小学校で、頭髪が薄い人をからかう歌詞の曲が校内放送で流れたことを問題視した40代の男性教諭が、児童28人を土下座させ反省を強要していたことが25日、分かった。斎木雄造校長は「不適切だった」としている。教諭は校長に伴われて児童の家庭を訪ね、保護者に謝罪した。
 斎木校長によると、曲は今月3日昼の校内放送で流れた。教諭は「人の身体的特徴を笑いの対象にしてはいけない」と、CDを学校に持ち込み放送委員会の児童に流すよう頼んだ6年の男子児童を注意。「誠意をもって反省の態度を示す方法がある」と自分の前で土下座させた。
 翌日には、曲を聞いて笑った4年生27人にも土下座を求めた。
 曲はインターネットで流されていた。教諭は4年の担任で放送委員会の顧問。「人の心を大事にしてほしいと願う指導のつもりだった」と話し、自身も髪が薄いが「個人的感情で怒ったわけではない」と釈明しているという。(共同)


 今回は「児童に土下座させた」ということが問題視されているが、オレはこの髪の薄い教諭の怒りは正当だと思うのである。だからそういう曲を勝手に流したことに関して、関係した児童を厳重に注意することは必要だ。その方法だが、たとえば「ハゲというものがどういうものか理解するために丸刈りにしなさい」という指導なら問題になっただろうか。いじめや差別というのは相手の身になって痛みを感じることができないから起きるのである。無神経に「ハゲの歌」を流しておもしろがった児童に対する罰としてふさわしいのは、土下座などという時代錯誤のやり方ではなくて、全員に頭を剃ってハゲになってもらってその上で「ハゲとは何か」ということを身体的に理解させることではなかったのかと思うのだ。

 こんなことを書くと、「頭を剃ってハゲにさせるのは体罰じゃないか!」と抗議してくる方が居るかも知れない。土下座よりもハゲにさせられる方が屈辱的だと思ってそれを体罰と感じるならば、その方の心の中には「ハゲ=劣等なもの」という差別意識が存在するのではないか。だから「こんな頭にさせやがって」と抗議すること自体が差別発言なのである。抗議をした時点で自身が差別者であることを認めたも同然だ。髪の毛のあるなしは単なる身体的特徴で、それは優劣の問題とは無関係だ。頭の中味の優劣を比較することは意味があるが、頭の外側は単なる脳みその入れ物である。オレは髪の毛が多いとか少ないという外見的なことよりも人間にとって大切なのはその中身だと思うのである。すぐれた頭脳を持つがハゲている人と、髪はふさふさだが救いようのない馬鹿とならどっちが人間的に優れてるだろうか。そもそも人のハゲを嘲笑するヤツに限って頭の中味は空っぽということが多いのである。その入れ物に毛が生えてるか生えてないかとの違いである。果物でいえば桃がスイカかという程度の違いなのだ。ちなみにオレは桃の方が好きだがそんなことはここではどうでもいい。 

 今回は「ハゲの歌」だったが今後もしも「チビの歌」「ブスの歌」などが登場し、それを校内放送で流されたことでチビやブスの人がいじめを受けるようになり、最後は自殺に至るなどということが起きればどうするのか。今の小学生や中学生の陰湿ないじめの実態を思えば決してそんなことがないとは言えない。人の身体的特徴を嘲笑することはどれだけ相手を傷つけるのか。そんな大事なことに対してあまりにも子どもたちは無神経だ。今の子どもたちにとって必要なのは塾で詰め込まれるこざかしい知識ではなくて、そういった思いやりの心ではないのか。

 前橋市立桃木小学校の今回の事件は、人権教育という点では一つのチャンスだったとオレは思うのである。そうした不適切な歌を流したことに対してきちっと当該児童を反省させ、他の児童たちにも「何がいけないのか」をきちっと理解させることが必要だったのだ。ところがこの大事な機会を、髪の薄い教諭が個人的な怒りのために児童を土下座させるという形で安易に解決をはかろうとしたことが間違いだったのである。土下座ではなくて反省文を書かせるべきだし、オレがその児童の親ならば先生に対する謝罪の気持ちを表すために頭を剃らせてお詫びをしただろう。「土下座というやり方は行き過ぎだ」と教諭の行為を非難する方が多いと思うが、その前にそんなCDを持ち込んで校内放送で流させた6年生の児童にはきちっと自分の行動の間違いを理解させ、きちっと謝罪させるべきである。「土下座させる」という方法が不適切だったからといって、悪意を持ってそんなCDをかけさせた児童の行為が免罪されるわけではないだろう。この児童が調子に乗って「先生を謝らせた!」などと放言するならば、オレとしてはただあきれるしかない。そんなクソガキは救いようがない。


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